随想2019 人類が生き残るには

人類の終焉を危惧して、アンモナイトの絶滅前の多様化と発達障害者の増加との類似に怯えた前回随想に修正を加えたい。理由の分からないものに怯えるのが、私を含む、人の本性である。理由がつけば、対策は可能になる。

推定するに、多様化は、歴史的には、生き残り戦略であった。
進化生物学者ダイアモンドが「銃・鉄・病原菌」で述べた3つの武器に敗北した人種が生き残ったのは、広がり、多様化した結果だった。
発達障害による人類の多様化の直接原因は、環境の急速な変化にあると考えるのが順当だろう。

人類の100万年の歴史で、朝日と共に活動してきた生活形態は、この50年で完全に崩壊した。現代人は24時間明りのともる部屋で、徹夜の残業をし、海外のスポーツをリアルタイムで観戦し、世界の珍味と美酒を味わう。医療はたくさんの薬剤を提供し、たくさんの延命策が寿命を延長する。これを元に戻すことは出来ない。たくさんのプラスチックと化石燃料を消費し廃棄し、大気も海も地中も、様相を変えてしまった。ヒトも、変わるべくして変わりつつあるのだろう。

ダイアモンドは、「ヒトの秘密」という学生たちへの授業において、「進化は留めることがことができないのです」と残念そうに語った。彼によると、人類の文化的な繁栄はマルコーニが通信を実現したことから150年以内、2050年までが限界であるという。原因は、地球温暖化、酸性化、オゾン層破壊、核兵器、遺伝子操作、パンデミック、環境ホルモン、多岐にわたる。

私が付け加えるに、テクノロジーの進化は加速的であり、危険因子も加速度的に増加している。すでに、1962年のキューバ危機ですら、絶滅の可能性はあった。にも関わらず、核兵器の拡散は続いている。彼のいうように、悲観的にならざるを得ない。

人類の生き残る手段は、もはや、理論物理学者ホーキングの言うように、他の太陽系への移住しかないのかも知れない。今こそ、「人類が一致団結しているか」と、問うならば、そうではない。

歴史学者ハラリの「サピエンス全史」によれば、我々サピエンスは、脳容積、筋肉量、いづれにおいても勝るネアンデルタール人よりも、劣っていた。集団を大きくし、道具を洗練し、協力し合うことで生き延びてきたという。その結束力を広めたのが宗教であった。しかし、宗教は、他方で宗教間の深刻な対立をも招いてきた。今や、生物学者ドーキンスが「神は妄想である」で述べたように、害のほうが大きいものとされはじめている。

オキシトシンは、親密度を上げる作用のために、愛情ホルモンとも幸福ホルモンとも呼ばれるが、集団の部外者には、攻撃性を高めると言われている。人類による人類の虐殺は、文明世界でも、現代でも、起きつづけている。近年の移民・難民への排外運動をポピュリズムと呼ぶ。共通の敵を作りあげ、短期的な解決案に導くのが特徴で、「欲望の民主主義」という本では、政治学者、哲学者、心理学者からなるパネラが警戒を促している。哲学者マルクス=ガブリエルの唱える解決法は、相違を超える新たな連帯方法の模索である。

私が複数の発達障碍者と、あるいは同じ部屋で、あるいは同じアパートや施設で、生活を共にした6年ばかりの経験からも言わせてもらう。
発達障碍者へのラべリングや差別は、今も深刻だが、発達障碍者同士の不協和音も、はなはだしいものがある。標準との隔たりを特徴とする発達障害において、発達障碍者同士の相違は、更に大きいからだ。共通の敵に対して、連携することはあっても、長続きしない。
自らの未来のために、穏やかに他者に気遣う行動が、求められる連携と考えている。

新たな連携の試みは、インターネット、ソシアルネットワークシステム(SNS)、ボランティアなど、多様に展開しつつある。長期的視野で、まずいところには目をつぶってでも、よいところを伸ばしていきたいものである。

随想2017 アンモナイトの夜

時代は、社会を巻き込んですべて変えてしまった。
ことに、情報伝達スピードの変化はすさまじく、もはや昔を懐かしむ余裕すらない。

人も変化を強いられた。
さまざまな過敏症を特徴とする発達障害者の急増である。
彼らを単なる障害者と見て、厄介者扱いする社会であるが、今後も勢いを増すのは避けられず、社会の多様性は、留まることを知らない。

日本における急速な高齢化もまた、社会の変化の中心課題である。
脳の高齢化は避けられない事実であるのに、人は、それを無視したがる。力を持つ人ほど、それを認めたがらない。

どちらが勝ちを収めるかは、明らかである。
老人は沈黙していく種族、発達障害者は、主張を強めていく種族である。発達障害者を、今までのように、病院および家庭に封じ込めるのは、薬物治療の名目でも、限界に達している。
彼ら自身も、強みになる部分を見いだし始めており、スタージョンが予言し、石森章太郎が広めた超人融合体が仮想空間で実体化する。
サイエンスライターのシルバーマンが「自閉症の世界」で唱えた、脳の多様性が、人類に残された進化の唯一無二の可能性である。
それは、アンモナイトの場合のように、人類という種の終焉の姿かも知れないし、勝ち残る種族の選別前の姿かも知れない。

そこで、テクノロジーの出番である。
人間と異なり、ビッグデータを扱いうる人工知能が、人間の社会を牛耳るのは必然である。
SF作家アシモフが「われはロボット」で予言した世界統治が、すんなり行くとは思わない。
むしろ、あのように推移すれば、犠牲は最小限で済むであろう。
テクノロジーの多様な応用は、これまでの価値観を何回でもひっくり返す。
いかに安全弁を設けても、いたちごっこが続く。
人間より優れた進化スピードを持つ人工知能に、権力は道を譲る宿命にある。

未来学者トフラーが「第三の波」で唱えた、暴力からマネー、それから知能という流れは、後戻りすることがない。

テクノロジーを使いこなすのも、発達障害者達である。
我々のような凡人は、理由のわからないものには、ゲームやマネーゲームでしか、手出ししない。
彼らには、社会性が無いと主張する輩が、かつて、存在した。
名誉欲が顕著だった、精神科医カナーという人物である。
彼が、発達障害の特徴とした、コミュニケーション障害というラベリングは、すでに剥がれている。文章表現能力に秀でた会話の障害者達が、ワープロソフトで活躍を始めている。
脳のNMR画像解析で、人への共感能力が優れている例も発見されている。そもそも、共感能力が高いから、映画俳優トムクルーズは成功した。
空気を読むなどという妄想にひたっているのは、凡人達である。
残る、イマジネーションの障害というのも、一面的である。
彼らの集中力は、真似できない。
SF作家スタージョンが「人間以上」で予言した、超倫理体も、やがて見いだされるであろう。
発達障害者3000人を面接した、ソーシャルワーカー田井みゆきは、発達に偏りの無い人物は極めて稀であると、話してくれた。
その人物は、「とてつもなく、変わった人物であった」と語った。
ナチスから、彼らの生命を守るために、優れた点を宣伝した精神科医アスペルガーは、称賛されるであろう。

彼らの思考は、実利的なので、自分の体内に、テクノロジーを融合するのも躊躇しない。

仮面ライダーやキカイダーのような、無駄な暴力は不要だが、地球環境を救えるのは、権力抗争に明け暮れる現在の体制派でないので、彼らしかいない。
彼らが実行力を握るなら、旧人類の価値観は、すべて消える運命にある。その力は、もはや、権力とすら呼べないものであろう。
見える、聞こえる、匂う、触れる、味わう、すべての定義が変わる。
脳の支配権すら、譲り渡す者が現れるであろう。
ただし、そこには、残り香があるであろう。
歴史、文学、音楽、絵画。
すべて、なにがしかの愛好者を残すであろう。
ただ、集団教育制度に支えられてきた主流が、曖昧になるのみだ。

では、薬物やロボットによる支配が可能だろうか?
「1984年」を書いたオーウェルや「素晴らしい新世界」を書いたハックスリー、あるいは映画「マトリックス」のように単純でないであろう。
むしろ、レムの「未来学会議」のように、権力は空洞化する。
人間の覇権を握ったとしても、人類の未来は、思い通りにならない。

さて、私は何をするだろう。
少しでも、役に立つものが残せれば、幸いである。
この情報社会のロングテールの一本に過ぎないものではあるが。