随想2017 アンモナイトの夜

時代は、社会を巻き込んですべて変えてしまった。
ことに、情報伝達スピードの変化はすさまじく、もはや昔を懐かしむ余裕すらない。

人も変化を強いられた。
さまざまな過敏症を特徴とする発達障害者の急増である。
彼らを単なる障害者と見て、厄介者扱いする社会であるが、今後も勢いを増すのは避けられず、社会の多様性は、留まることを知らない。

日本における急速な高齢化もまた、社会の変化の中心課題である。
脳の高齢化は避けられない事実であるのに、人は、それを無視したがる。力を持つ人ほど、それを認めたがらない。

どちらが勝ちを収めるかは、明らかである。
老人は沈黙していく種族、発達障害者は、主張を強めていく種族である。発達障害者を、今までのように、病院および家庭に封じ込めるのは、薬物治療の名目でも、限界に達している。
彼ら自身も、強みになる部分を見いだし始めており、スタージョンが予言し、石森章太郎が広めた超人融合体が仮想空間で実体化する。
サイエンスライターのシルバーマンが「自閉症の世界」で唱えた、脳の多様性が、人類に残された進化の唯一無二の可能性である。
それは、アンモナイトの場合のように、人類という種の終焉の姿かも知れないし、勝ち残る種族の選別前の姿かも知れない。

そこで、テクノロジーの出番である。
人間と異なり、ビッグデータを扱いうる人工知能が、人間の社会を牛耳るのは必然である。
SF作家アシモフが「われはロボット」で予言した世界統治が、すんなり行くとは思わない。
むしろ、あのように推移すれば、犠牲は最小限で済むであろう。
テクノロジーの多様な応用は、これまでの価値観を何回でもひっくり返す。
いかに安全弁を設けても、いたちごっこが続く。
人間より優れた進化スピードを持つ人工知能に、権力は道を譲る宿命にある。

未来学者トフラーが「第三の波」で唱えた、暴力からマネー、それから知能という流れは、後戻りすることがない。

テクノロジーを使いこなすのも、発達障害者達である。
我々のような凡人は、理由のわからないものには、ゲームやマネーゲームでしか、手出ししない。
彼らには、社会性が無いと主張する輩が、かつて、存在した。
名誉欲が顕著だった、精神科医カナーという人物である。
彼が、発達障害の特徴とした、コミュニケーション障害というラベリングは、すでに剥がれている。文章表現能力に秀でた会話の障害者達が、ワープロソフトで活躍を始めている。
脳のNMR画像解析で、人への共感能力が優れている例も発見されている。そもそも、共感能力が高いから、映画俳優トムクルーズは成功した。
空気を読むなどという妄想にひたっているのは、凡人達である。
残る、イマジネーションの障害というのも、一面的である。
彼らの集中力は、真似できない。
SF作家スタージョンが「人間以上」で予言した、超倫理体も、やがて見いだされるであろう。
発達障害者3000人を面接した、ソーシャルワーカー田井みゆきは、発達に偏りの無い人物は極めて稀であると、話してくれた。
その人物は、「とてつもなく、変わった人物であった」と語った。
ナチスから、彼らの生命を守るために、優れた点を宣伝した精神科医アスペルガーは、称賛されるであろう。

彼らの思考は、実利的なので、自分の体内に、テクノロジーを融合するのも躊躇しない。

仮面ライダーやキカイダーのような、無駄な暴力は不要だが、地球環境を救えるのは、権力抗争に明け暮れる現在の体制派でないので、彼らしかいない。
彼らが実行力を握るなら、旧人類の価値観は、すべて消える運命にある。その力は、もはや、権力とすら呼べないものであろう。
見える、聞こえる、匂う、触れる、味わう、すべての定義が変わる。
脳の支配権すら、譲り渡す者が現れるであろう。
ただし、そこには、残り香があるであろう。
歴史、文学、音楽、絵画。
すべて、なにがしかの愛好者を残すであろう。
ただ、集団教育制度に支えられてきた主流が、曖昧になるのみだ。

では、薬物やロボットによる支配が可能だろうか?
「1984年」を書いたオーウェルや「素晴らしい新世界」を書いたハックスリー、あるいは映画「マトリックス」のように単純でないであろう。
むしろ、レムの「未来学会議」のように、権力は空洞化する。
人間の覇権を握ったとしても、人類の未来は、思い通りにならない。

さて、私は何をするだろう。
少しでも、役に立つものが残せれば、幸いである。
この情報社会のロングテールの一本に過ぎないものではあるが。

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