ブーケ

1 はじめのはじまり

202X年、ロサンジェルスの製薬会社タイレル社は、製薬業界でも未曾有の収益をあげた。5年前に発表した自閉症スペクトラム障害(知的障害である自閉症から、知的障害の無いアスペルガー障害、高機能自閉症を含む様々な中枢神経脆弱性を疑われる症例群)の特効薬、ブーケの売り上げによるものである。

しかし、この薬には謎も多かった。治験による効果検証、副作用の確認は順調であったものの、薬理作用を説明する文書には、ただ、「主成分である新発見のタンパク質による」とのみ記載された。

10年以上入院していた患者達が、次々と自立を始めたのは、奇跡として受け入れられた。何よりも、1~2ヶ月の服薬後、断薬しても、効果が1年以上継続するという、これまでの精神病薬にない特性が、医療現場からも宗教界からも支持された。福祉関係者の多い宗教施設で、その効果を目の当たりにしたためである。

先進諸国による対応は、慎重さを求めることができなかった。

一つには、治験段階で驚異的な効果を患者家族会、当事者会が知るところとなり、彼らがマスコミとインターネットをリードした。

二つめには、当時のアメリカは大統領再選の直前であり、大統領自身が親族に患者をかかえていることを、明らかにしていたためである。

三つめには、その患者は、特別に治験名目でブーケを利用しており、すでに症状改善の事実があると、大手新聞社に、すっぱぬかれたためである。

アメリカ大統領のローズウォーター氏は、マスコミ会見を開催した。

以下は、ブーケ発表後1年後における、マスコミ界きっての福祉団体通で、全米障害者家族会の理事でもある、ヨーダ氏との会見模様である。

(この番組は、TVの視聴率としては異例の90%をたたきだした。あっけないほど短い出来レースを演じた40歳の大統領よりも、90歳を超える高齢でありながら、千両役者としての真価を発揮したヨーダ氏の名声を高めた)

ローズウォーター:「私の兄は、アメリカ国民全体の利益のために、犠牲的な実験に身を捧げた。ブーケという薬の治験に、本人の意志で参加したのです。この兄にかわり、私には、この薬の有効性の証人になる用意がある」

ヨーダ:「すでに多くの、圧倒的な効果を示す治験例がインターネット上で公開されています。追加の証人は、今や不要です。大統領」

ローズウォーター:「FDA(食品医薬品局)には、再三にわたって、可能な限り審査を急ぐように、促している。これ以上の権限行使は、独裁となりかねないほどだ」

ヨーダ:「私どもは、公表前から、ブーケを使用した、ある改善例を抑えております。その症例は、すでに断薬後、2年を経過しております」

(周囲からヒューという声。)

ヨーダ:「大統領。この国は自由の国と呼ばれて来ました。開拓精神が尊ばれ、自分の運命を自分で決めることを尊しとしてきました。あなたが、ご親族に適用した自由を、今こそ、他の国民にもお分けするときでは?」

ローズウォーター:(しばし間を置いて、いつもの快活な表情に戻った)

「実は、FDA、CBER(生物学的製剤評価研究センター)、CDER(医薬品評価研究センター)、およびCVM(動物薬センター)には別途、専門家によるプロジェクトチームの総合的な判断結果をつきつけてある。1ヶ月以内に、FDAに、結論を出させることを約束しましょう」

認可などは差し置いて、治験用サンプルは闇値で取引された。「頭が良くなる夢の薬」と、健常者が盗り合う事態となり、マスコミは更なるパニック状態に陥ることとなる。

ひとり不満を唱えたのが、タイレル社以外の製薬業界と薬学会であった。

追随しようと言う懸命の探索空しく、なにひとつ掴めないのだった。

主成分が持つとされる嫌気性のために、徐放カプセルには、複雑な蛋白層が配置されるとされていた。カプセルをばらすと、成分は一分以内に分解変成した。

 

2 夢の薬

薬学会は、くやしまぎれに、「狂牛病の原因物質であるプリオンの系統ではないか?」という、プリオン仮説を提出して、製造工程を明らかにするように迫った。従来の製薬会社に追随するマスコミもあり、「怪しげな寄生虫」「薬剤としての認可は人類への脅威」「情報公開あるまで使用禁止」とうたった。

しかし、薬効を示す側にまわって、一流にのしあがる媒体も多かった。

以下は薬学会の重鎮、ポンパドール氏とタイレル氏の、中立なTV局でのやりとりである。

ポンパドール:(仕立ての良い白いスーツ姿である。恰幅が良くて、しかも高圧的。脂ぎって、はげ上がった頭部はスタジオの照明で、輝いている。まるで、こちらのほうが企業人に見える)

「薬事審査会は、タイレル社に製造工程の公開を求めている」

タイレル:(かたやダークスーツに身を固め、やせぎすである。疲れた目線はもの憂い。対照的に、ポンパドール氏より、学者風の風貌をたたえていた。)

「その条件に応じられない理由は、大手製薬会社の顧問であるあなたには、明らかな筈です」

ポンパドール:「創業者利益は守ると約束出来る。それでも、倫理的な責任を感じないのかね?」

タイレル:「その表現は、我々に疑いを抱いているととれます」

ポンパドール:「なぜ、薬を、あんなにも厳重なベールで守る必要があるのか?疑心暗鬼も当然のことだ」

タイレル:「カプセル内の徐放タンパクも必要な成分のひとつです。」

ポンパドール:「我々は、何度も条件をかえながら、辛抱強く実験をし、分析を繰り返した。そのたびに変成した、茶色のネバネバした液体を得ただけだ。服薬者の死後脳を分析しても、何も見つからない。真空中で解析しようにも、X線解析やNMR解析では、分解後の分子成分比や鉄分の分布しかわかっとらん。そもそも安定化合物でなく、こんなにも変成しやすい薬剤など薬剤と言えない。中枢に作用するとなると、狂牛病やスクレイピー病の原因とされるプリオン系ではないのか?

。。。。君の開発した薬も、その薬効も、はなはだ疑わしい。」

タイレル:「あなたの顧問されている会社が、我が社の技術をリバースエンジニアリングしようとして放った産業スパイがいました。我が社の自衛チームが、昨日確保しました。これも、あなたの疑心暗鬼の結果なのでしょうか?」

ポンパドール:(顔を真っ赤に紅潮させている)

「おまえのような、高慢な若造に、そんなに優れた薬剤を開発出来る筈がないのだ。お前はプリオン使いの詐欺師だ」

タイレル:「ドクター。私は。若く見られますが、ドクターとは5歳しか違いません。後半のご発言は、、、失礼ながら、ドクターの品格をおとしめる発言かと存じます」

ポンパドール:「いずれ、お前の化けの皮ははがれる。プリオンの疑いは解けていないぞ」

タイレル:「ドクターに一つだけ情報を提供致しましょう。

我が社の最新の製造ラインでは、検査工程にプリオン脳を持つラットが使われるようになりました。我が社の研究者が、すぐにでも実験映像を公開する用意があります。ブーケは、今や、スクレイピー病にも、狂牛病にも薬効を示しているのです。」

確かに、この会見で、よくわからないタンパク質というだけでプリオン呼ばわりした事で、かえって反対派が信用を失う契機となった。

結局、アメリカでも、製造工程は企業秘密のまま、認可せざるを得なかった。

少なくとも、CVM(動物薬センター)だけは、責務を追試により果たした。

世界各国でも、次々と認可が、なかば追認というかたちでとられた。

 

3 静かな証人

以下は、認可から2ヶ月後にローカルTV局に流れた画像である。

インターネットでも、再三、形を変えて流れている。

インタビュアは切れ者と有名な映画監督マストロ=マエストロ氏、相手はグレイの僧侶のような布をまとい、剃りあげたチキンヘッドが光る、ヤギヒゲを蓄えた、やせぎすな初老の紳士である。

マエストロ:「あなたの名前を教えてくださいますか」

(鋭い視線を送る。これから、ショウタイムが始まるという雰囲気である)

紳士:「ヤン=スーと申します」

(東洋人のように、両手を合わせ、深々と頭を下げた。二重のひとみは落ち着いて、前を見据え、限りなくおだやかだ。)

マエストロ:「ご職業は何ですか」

紳士:「現在は、。。。数学者です」

マエストロ:「失礼。あなたは、我が国でも有数の数学者ですよね。

私も、知りながら、問わねばならなかった」

紳士:「結構ですよ。私は、ある薬を飲むまでの、23年間というもの、片田舎の作業所で、段ボール箱を組み立てるだけの、社会の厄介者でした。」

マエストロ:「確かに、あなたの前歴は、ある日大学に訪れて、そこの教授に気に入られたというエピソードしか明らかではないですね。で、その薬の名前は?」

紳士:「ブーケです」

マエストロ:「。。。これは驚きました。あなたは、「4色問題のエレガント解」と称する、たった2ページの論文で、フィールズ賞を受賞されたとうかがってます。それ以前の証明は、スーパーコンピュータを1200時間使って場合分けの数を調べ尽くす、力づくの証明でした。私が知る限りの数学界において、あなたこそ、天才と呼ばれています。」

紳士:「私はパズルが好きなだけです。たまたま、産業界で、うまい応用が見つかっただけなのです」

マエストロ:「なぜ、ご自分に不利なことを公表することに?」

紳士:「大切なのは、私が自分の人生を取り戻した事です。この薬により得られた価値を、世界に知って頂き、かつての同胞、これからの同胞と、分かち合うためです。ここに座って、この事実を話す事は、神聖な、私の責務なのです。」

マエストロ:「ブーケは、あなたにどう作用したのですか」

紳士:「私の頭脳は、長らく、暗い牢獄につながれた奴隷でした。

人生は苦痛そのもの。未来には死の陰しか見えず、私はそれと向き合うことしかできなかった。

毎日の時間を、ただ、段ボールの面の数、辺の数、頂点の数を数える事に集中していたのです。“面の数、辺の数、頂点の数”です。

作業の無い日は、頭の中で数えていました。“面の数、辺の数、頂点の数”。全てはその繰り返し。

やることが無くなった夜、それをやりすごすには、メチルフェニデート(覚せい剤の一種とされる)しか無かった。」

マエストロ:「リタリンのことですか」

紳士:「私の場合は、コンサータです」

マエストロ:「今も薬剤依存ですか」

紳士:「この3年間は、何も飲んでおりません。

20年のみ続けた眠剤と頭痛薬それに胃薬もです」

 

4 早すぎる終焉

以下は、203X年に、ネットに速報されたニュースである。

未だに、ブーケに関する議論は尽きないが、以下が結末である。

タイレル氏軍事施設に収容さる

——ブーケの製造工程に重大な犯罪——

——タイレル氏自身がブーケの犠牲者。精神鑑定も——

X月X日未明。AP

ブーケ製造工程で、死後のヒト脳が使われているという事実がCIAにより明らかになった。

身柄を確保した関係筋の証言では、ブーケの中心成分は隕石から抽出したタンパク質とされ、タイレル氏自身が、最初の服薬を行ったとしている。

タイレル氏が、「中枢に機能するこの新しい免疫体を取り込むのは、ミトコンドリアを取り込んだ我々の祖先の進化に続く進化である」と語ったとされる風評は、「発信源が確認出来ない」としている。

タイレル氏は、場所は明かせないものの、軍事施設において、厳重に隔離されている模様。

著名な数学者ヤン=スー氏の遺体がシアトル沖に見つかる

~政府は、暴徒化した市民を鎮圧するとともに、虐殺防止を呼びかけている~

X月Y日未明。AP

ローズウォーター大統領の記者会見によると、流通したブーケは出荷記録、処方記録とつきあわせて追跡調査および回収が進んでいる。平静を保つようように、重ねて呼びかけた。

虐殺された人の数は、世界で10万とも、100万とも、1000万とも言われる。公式発表の100倍弱がおおむねマスコミの見方だ。

夜間の戒厳令をしいた国は23に及ぶ。放火や略奪、集団による襲撃も相次いだ。軍隊と交戦した集団、軍隊同士の内乱もあったという。

カソリック教会、プロテスタント教会、ギリシャ正教寺院、イスラム教礼拝所、仏教寺院をはじめとする宗教関係施設では、神の怒りを鎮めるために、連日にわたる祈りが捧げられた。事態が収束したのは、1ヶ月したころである。

タイレル氏が身柄拘束時において死亡していたことが判明

——ブーケ製造施設のコンピュータに自滅プログラム——

——タイレル氏の義歯に青酸——

Y月Y日。AP

CIAの内部資料公開により明らかになった

後日、あるインターネット掲示板で集められた、推測の数々である

 

ブーケ賛成派)多数であり多様

1)      タイレル生存説:CIAの情報は、タイレルを取り逃がしたので作り上げたデマである。いつかタイレルはブーケ製造を再開する。

2)      タイレル宇宙人説:彼はキリストの再来であったがために処刑された。

彼の肉体は拡散して地球の大気に漂い、近い将来の救済を祝福している。

やがて、人類にとって、新しい夜明けが来る。

3)      ライバル社とCIAによる暗殺説:タイレル社爆破一週間後、CIA幹部に莫大な金が流れた証拠が見つかっている。

4)      事故説:「ヒト脳以外からブーケを製造する方法は完成していた」と、タイレル社守備チーム唯一の生存者が漏らした。生存者は、「最終工程のプロセスはタイレル一人が作成したプログラムであり、今や、同じ物はおろか、類似物すら作れない。」と語った。

「自爆プログラムは、解除しても良かったのだが、CIAが動き出した時に、解除しきれておらず、軍隊の突入時に動作した。

自爆プログラムが働いたのは、純粋に事故だった。」

 

ブーケ反対派)少数だが強硬

1)      タイレル自殺説:CIAの追求で、自らの非人道的な行為の責任をとった。彼は単なる気違い科学者で、おそらくは宇宙の細菌に侵されていた。

2)      大統領による謀殺説:再選するために、タイレルの悪事を封印した。悪事に加担した大統領にとって、有能であったが、タイレルは野心家でもあったがために、抹殺せざるを得なかった。

3)      ブーケ茶番説:ブーケはプラセボ(擬薬)だった。:製薬会社を手玉にとることだけを目指した、精巧なタンパク質というだけのカプセルだった。勿論、タイレルは一流のペテン士である。

4)      ヤン=スー茶番説:ヤン=スー自身もプラセボの宣伝役者だった

全てのからくりを闇に葬るべく、まっさきに、仲間の手で葬られた。

今回の一連の破綻は、神による裁きの結果である。

 

5 付記

この不幸な事件の後で、発達障害者達の希望職種に明らかな偏りが見られるようになった。それは、薬学と地質学の志望者が増えたことである。

段ボール組み立て作業を希望するものは、、、残念な事に、年々僅かな減少傾向にある。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です