薬信仰への危惧

最初に掲載するのは、精神障害者および知的障害者、その家族が、待ち望む、夢の新薬のおはなしです。

これら、永続すると思える、苦痛の救世主を、切ないまでに夢見ることは、罪ではありません。

ダニエルキイスの「アルジャーノンへ花束を」および、映画「まごころを君に」は、名作であり、全てのテクノロジーが持つ宿命である、適用期間、適用範囲といったものの有限性が語られました。

SFファンとして、この名作を、意図的に真似たものの、付け加えたかった想いは、オリジナルでした。

すなわち、薬による救済には、常に副作用があり、もしかしたら、倫理的な反動が、現状の現場と同じくらいありうるという危うさです。

例えば、SSRI(セロトニン再取込み阻害薬)です。従来の、ドーパミンを押さえ込む抗精神病薬が、患者の問題行動を抑えるとともに、寝たきり、垂れ流しにする事例を出したことから、アンチテーゼとなりました。ハッピードラッグなどと揶揄されながら、全世界に普及。2000年頃の米国では、健忘を主訴とする多数の訴訟を招きました。日本で問題視されたのは、衝動性の亢進による自殺です。健忘、衝動性、ともに、元の疾病が原因と、医師達は主張します。

科学は進歩しますが、常に、諸刃の刃なのです。

まず、飲む者が、学ばねばなりません。

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