愚民の巣

老人は深夜の公園のベンチで、まどろんでいた。
夏の風は心地よく、木々は、緑豊かな葉をこすりあい、ざわめいた。
噴水は止まっており、水音はしない。
花壇に無数の月下美人が、強い香りを放っている。
時おりの通行人で、こおろぎとツユムシが鳴き止むほかは、全体が安息を謳歌している。

老人の記憶にある昔の写真に、この公園のものがあった。
緑なす芝生の上、赤ん坊だった自分が、白い産着でハイハイしていた。
向かう先には、ありし日の母親が、笑みを浮かべて哺乳瓶を差し出していた。
写真も母親も、とうの昔、失っていた。
今日は、ここを、ねぐらに決めた。

おりしも、その時、少年たちの怒声が響いた。
「おらおら。公共施設で寝てんじゃねーや」
打撃音と、打ち据えられた被害者の、くぐもった吐息が流れる。
「金目のものがあるなら、出しやがれ」
浮浪者狩りだ。
狙いは、年金や生活保護の支給されるIDだろう。
老人は、大儀そうに腰を上げた。
声のした方に、のたりと向かう。
繁殖期前の個体3体が、繁殖期越えの個体Aを、角材と足で打ち据えている。
個体Aは、額から血を流している。
「多勢に無勢ということじゃな」
個体BとCが叫ぶ。
「なんだと。邪魔するつもりか、じいさん」
「いい度胸だ。おめえも同類だろうが」
Cの振り下ろした角材は、老人のかざした左手に当たり、鋭い音をたてた。
左手は、鋼のような強度をもって、角材をはねのけた。

「この野郎、アスタリスク社の義手を着けてやがる。お金持ちってことだ」
2番手のDの角材は、左手に補足され、鋭利に切断された。
「囲んで、たたんじまおうぜ」
3人が間合いをとって、構えたが、老人は待っていなかった。
武器を失った一番手に張り手をかませて、後ろにまわり、首に左手をかけて、二人に向き直った。
たいていの人間は、義手が顔めがけてくるだけで、パニックに陥る。
何が起きるか予測がつかないからだ。
「仲間を大切にする心得はあるかな」
気道を圧迫しているので、押さえられた男はもがいている。
やがて、ぐったりして、老人にもたれてしまった。
「このまま、頸動脈を切断してお見せしようか」
BとCは、目を見合わせてから、走り去った。
仲間は大切でないようだ。

気絶したDを転がし、スマホをかざして,被害者Aの傷を確認した。
さほど深いものではない。
脅しが目的だから、傷はひとつだろう。
ポケットの小物入れから、縫合用の糸を出すと、左手で素早く縫合した。
とりあえずの処置としては上々だろう。
Dが起き上がり、そそくさと逃れた。
まったく、繁殖期前の個体は、手がかかる。
老人は、静かな月を見上げて、ため息をついた。
流れの早い雲がうっすらとかかっていた。

「ありがとうよ」
繁殖期越えの個体が呟いた。
「でも、あんた、手だけじゃねえな」
「。。ああ。ここにも、しっかり手を加えてある」
老人は、自分の頭を指差した。
視覚応答と反射スピードでも、未成熟個体に遅れをとらないということだ。
彼らの動き、すべてがスローモーションのように遅い。遅すぎる。
「たいしもんだ。つぎこんだな」
「仕事に必要だったからね。公費でついた、余禄さね」
老人は、群衆の映るカメラ画像からテロリストをマークアップする仕事をしていた。左手でカメラ操作、右手と声でマークという作業だ。
右手は、不器用なまま、残すことを選んだ。
今は、退役している。
「。。それで、ここへは、何しに来たんだね」
「いい空気を吸いたくてね」
「住みかはあるんだろ」
「ここが気に入った」
「物好きだな。物騒なところだよ」
老人は、先程のベンチに戻っていった。
ふたたび月を見上げると、クレーターが幾つか見分けられた。
クレーターは、愚かな人類を見て、笑っているようだった。

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