さ迷える日本人

0.発端

204X年五月のある日
k国のリ首席官邸は、緑なす庭、うららかな春の訪れを告げる鳥がさえずり、平穏だった。
執務室に、一本の電話があった。
客は、ヨン大佐。首席とは、幼馴染みの、士官学校同期生であった。
今日は、軍服でなく、平服のスーツに、グレーのネクタイを締めている。
鼻筋が通り、長身の美男子である。
ヨン大佐は、高級コニャックとキャビアのツマミの入ったかごを携えている。
共通の友人でもある、ヨン夫人のことで相談があるとの触れ込みだ。
人払いがなされ、ヨン大佐が、グラスと皿の支度を始めた。話をしながら。
「話というのは、他でもない。。。」
シークレットサービスのチェックをパスしたかごには、直方体にプラスチック成形された拳銃が仕組まれていた。
振り向き様の一発目は、リ首席の肩をかすめた。
リ首席が机のボタンを押そうとしたとき、二発目が肩に命中した。
ボタンは、赤と青の二つがあった。
青い方は、シークレットサービスに繋がっている。
赤い方のそれには、透明なカバーがあったが、倒れかけた主席の肘が当たり、砕けた。
それは、核ミサイルの発射ボタンだった。
目標は、r国及びj国に散在するs国の主要な軍事拠点だった。
「この、愚か者め」
リ首席が叫んだ。
一発目を聞き付けた警備スタッフが駆けつけ、ヨン大佐は射殺された。各地で待機していたクーデター部隊は殲滅された。

リ首席が、s国のホットラインに繋いだ。
クーデター分子が、官邸から核ミサイル発射指示を行ったこと。遺憾であるが、我が国の意思でないこと。可能なら、対処願うこと。

ミサイルには、固定サイロのものと、移動サイロのものがあった。
移動サイロについては、取り消し命令が発令されたが、軍部の混乱もあって、幾つかは間に合わなかった。

s国には、万全の準備があった。
ホットラインからの連絡が無くとも、全てのミサイル発射が探知されていた。
ミサイル迎撃システムが、十数発のミサイルをことごとく撃破したのである。
しかし、問題が残った。
迎撃は、ほとんどが二万m上空でなされ、朝鮮半島及び日本の上空が、深刻な放射能汚染を被った。

1.避難

該当地域に、避難が呼び掛けられた。
しかし、どこへ?
「第二波攻撃はありません。」
世界中の報道機関は、呼び掛けたが、報道するニュースキャスター自身がパニックに陥っていた。

s国空軍の提供した東アジア地域の、気象予測図が、赤で塗りつぶされていた。
「該当地域の方は、少なくとも、追加の情報があるまで外出しないで下さい。」
この呼び掛けが、際限なく続いた。

日本では、沖縄と横浜の野外カメラ映像が繰り返された。
時折、長野と埼玉が混じる。
何れも何事もなく、ただ、夕刻にも拘わらず、無人であるのが不気味だった。
合間には、気象予測図。
リラクゼーションのBGM音楽が、むしろ、ミスマッチだ。

夜になり、職場や学校で、宿泊準備が始まった。
ここ、h中学校の体育館でも、tv音声が流れている。
ケータイ回線は止まったままだが、メールの安否確認がとれて、一服感が広がっている。
しかし、言い様の無い不安感が拭えない。

遠くで、女の子の泣きじゃくる声が響く。
まんじりともせず、tvに聞き耳をたてる生徒の間に、辛抱強く説明する女教師の声が混じる。
トビオには、女教師の話が気になる。
「おばあちゃんからは、返事が無くとも、きっと大丈夫。私たちだって、こうして、無事なんだし。きっと、メールに慣れていないんだよ。」
トビオも、フェイスブックで連絡をとった。
父の天馬道夫、母の天馬ミツコ、兄のコバルトと、双子の妹のウラン。 全員が、返事を返していた。

トビオは、ごく普通の、男の子だった。
制服ではなく、白い半袖ワイシャツにグレーのカーディガンを羽織っている。
澄んだ瞳と、サラサラの髪の毛が印象的だ。
しかし、彼には秘密があった。
彼は、五歳で突然死したトビオのクローンだった。本人は、まだ、この事実を知らなかった。
天馬家は、普通の家庭と著しく異なっていた。

2.兄の記憶

トビオの記憶にある、兄コバルトの映像は、パニックを引き起こした。
家の子供部屋で、三歳くらいのトビオが兄と遊んでいる。トビオが赤い飛行機のオモチャを口に入れる。
ひげを生やした豚が操縦する飛行機だ。兄が口をこじ開けて、取り出す。口の中が切れ、トビオが抗議の泣き声をあげる。
そのとたん、兄が動かなくなる。トビオには、自分が何をしたのか分からない。そんなことが、度々あった。
母が駆けつけ、トビオは悪くないという。
しばらくすると、兄が、何事も無かったように振る舞う。いつも自分を守ってくれる守護者である兄は、人工知能、AIなのだった。

つくば市にある国立研究所で、父親の天馬道夫達がコバルトを作った。
費用は、全て国費で、福島県にある原発の事故処理の資金で賄われたそうだ。
当然、その特徴は、人間が五分いたら死ぬような放射線の元でも、誤動作しないことにあった。
制御回路の多重化は勿論、メモリーにも誤り訂正符号が一杯付いていて、心臓部は厚さ十ミリのチタンで覆われている。
エアカーよりも高温に耐えられるそうだ。随分と活躍したが、後継機種が出来て、父が引き取った。
その後も、父さんは、人間との協同作業の研究を名目に、改良を続けている。

コバルト兄さんは、驚くほど手先が器用だが、走れない。とっても物識りだけど、自分から、あまり話さない。
時々、難しいテストを受けている。お父さんは、チューリングテストと、笑いながら言っていたよ。
エネルギー源は、家の動力プラントと同じ、有機エネルギーで、僕らとは違うものを飲んでいる。微生物が発電するそうだ。
老廃物は、僕らと同じようにトイレに流している。
兄さんは、トイレの中で、歌を歌うよ。
いつも決まって、鉄腕アトムの主題歌だ。
 心優しい ラララ 科学の子
 十万馬力だ 鉄腕アトム

僕は、二十世紀のアニメを見て育ったんだ。だけど、僕の兄さんの方が、どんなアニメのロボットより、賢い。それに、優しいよ。
僕の、本当の兄さんと思っているんだ。
僕は、兄さんがフリーズしないように、気を付けることを覚えたよ。

3.緊急事態

お父さんから、メールがあった。これから、緊急車両が迎えに行くから、コバルト兄さんと、一緒に、研究所に来なさいというものだった。

訳の分からなかった僕だけど、コバルト兄さんは、防空頭巾のようなものを持っていた。
僕は、言われるままに被り、エアカーに乗り込んだ。兄さんを絶対的に信頼していた。
学校の校長先生には、話が通っていたらしい。校長先生自らが、出口近くまで送り届けてくれた。

程なく、お父さんの居る研究所に到着した。
お父さんは、いつになく、険しい顔つきをしていた。
「済まない。嘘も隠し事も、悪いことだと教えてきた。その私が、お前に、隠していたことがある。
実は、この防御頭巾では、最大濃度の現状放射能で、五分と持たない。お前は、お前とウランは、特別なんだ。」
お父さんの話は、続いた。
程なく、g中学校にいたウランも駆けつけた。
「お前には、お前達には、生涯秘密にする積もりだった。ところが、聞いてくれ、事情が変わった。
この日本で、このつくば市だけでも、お前達にしか救えない、沢山の人命があるんだ。トビオ、そして、ウラン。
お前達には、通常の百倍までの放射能に耐えうる、ゲノム編集という操作が加えてある。
二人とも、母さんのお腹から産まれたクローンなんだ。」

お父さんは、泣いていた。
研究所のAIを総動員しても足りないこと。
研究所の防御服と、動きの遅いAI達を、最重要の救援スタッフに送り届けることが急務だということを説明した。
指示を伝えるために、特別回線のケータイを渡された。全身を覆う、薄い、つなぎのようなタイツを着せられた。
ウランには、ちょっと大きかったが、伸縮性で、何とか不格好では無かった。

それからは、目の回る忙しさだった。
力仕事は、単純ロボットの部隊がやってくれた。他部署の防御服とAI調達では、保安システムを壊して運んだ。ベルが鳴り響いた。
僕らは、軍隊のようなロボットを引き連れ、自動運転のエアカーに分乗し、それぞれの目的地に向かった。
僕が行き着いたのは、無人のドローン管制センターだった。担当者は、職場を捨てて、家族の元に走ったらしい。
分からないことだらけだったが、ケータイメールが、噛み砕いて指示してくれた。

この一晩で、僕は、簡易防御服千パック、防御頭巾三千個、3Dプリンタ用食材二万パック、寝具五千パックを配送手配したところで、簡易ベッドに倒れ込んだよ。
ここの、処理能力では、どうも、それが限界らしかった。
僕の処理能力もね。

4.黒い雨

夜が明ける頃、雨が降った。黒いというよりは、灰色に見えた。地上で燃えたものは少なかったのだろう。
森林火災は、続いてるけどね。数が多いし、全く放置されているそうだ。

しかし、TVでは、戒厳令の継続を伝えていた。アナウンサー達も、薄手の防御服を着ているので、僕らに対する違和感は減っているはずだ。
地図には、日本の全土が真っ赤に染まっている。
北海道も、当初のオレンジ色から、偏西風で、赤く染まりつつある。原発事故には、比較できないほど高濃度の放射能だそうだ。

雨水は、川を流れ、ところにより放射能の吹き溜まりを作る。短周期のものが減るだけでも、一ヶ月は待たねばならない。

僕は、配送作業に留まった。
一人きりは寂しいけど、コバルト兄さんや、ウランにも、メールで力付け合った。

コバルト兄さんは、逃げ遅れた人の探索をしている。あんまり、状況を知らせてこないのは、良い話が無いからだろう。

ウランは、給食センターで、ロボットのオペレーターをしている。目の前で、外にいた人が倒れたと、泣いていたよ。
建物には運び入れたけど、間もなく息を引き取ったのだという。
医療ロボットは、出払っているし。
一人じゃ何も出来ないさ。
出来ることを、やるしかない。

お父さんと、母さんは、別々に秘密の会議が多いらしく、返事が滞った。
父さん達も、具体的な情報は無いが、言葉少なに、励まし合っているよ。

5.家族の再会

ヘトヘトの一ヶ月が過ぎた。
短周期の放射能が減ってきたのだそうだ。
でも、年単位、千年単位の放射能も、まだ強い。
雨水の吹き溜まりには、注意が必要なんだそうだ。
ケータイ電話の地図で、細かな表示が見えるようになったよ。天気予報も、風の強い日は、警報を出すようになった。

オレンジ色の地域では、外出が許可され出した。一時間以内だけどね。

家族と会う人、職場に戻る人、医療機関に向かう人、様々だよ。
このドローン配送センターにも、元々の職員が戻ったよ。五十過ぎのおじさん。
最初は、こんな子どもに、驚いていた。
次には、優しく笑って、”坊やは偉いな”って、誉めてくれたよ。

僕たち家族も、一ヶ月ぶりに再会したよ。
研究所の玄関ホールで、母さんはは、駆け寄って僕たちを順繰りに抱き締めて、顔をマジマジと、見詰めたよ。
父さんの嬉しそうな顔も、久しぶり。
ウランは、泣かずに、少し、大人になったみたい。でも、皆、疲れてたからね。
コバルト兄さんは、煤で汚れてたよ。
母さんの右頬が、黒くなった。
ウランが、声をあげて教えた。
皆で笑ったよ。

父さんが、状況を説明してくれた。
山奥の火事は続いてるそうだ。
市街地では、何とか、ロボット達が防いでいる。

エアカーで赤い地区に向かった人も、多いって。
誰にも止められない。
境界で検問しても、抜けていく人が多いのだそう。世の中には、自分の命より大切な人って、居るよね。

海外に出た人も居るそうだ。
自家用機を持っているお金持ちだけど、皆、隔離されているんだって。
勿論、定期便は、止まったまま。
団体でチャーターした飛行機は、受け入れ国が見つからずに四苦八苦しているそうだ。
日本政府も、交渉しているよ。
見込みは少ないそうなんだ。
日本は、元々、難民には冷たい国だったからね。

6.混乱

日本は、偏西風の影響で、九州の汚染が少ない方だった。黄色く塗られた地図に希望を託して、多くの船が向かった。
漁船や、観光船、はしけや、タグボート。航空機は止められていたし、鉄道とエアカーも交通システムで制限されていたからだ。
市場も、九州と四国以外は閉鎖されていた。
農作物の実態調査は、始まったばかりだ。
従って、畜産物の安全も保証されていない。
漁獲物に至っては、出漁を禁止されてしまった。保存食の備蓄は、先細りで、みるみる高騰した。一億人のサバイバルゲームだよ。
世界中から、支援物資が届いたけど、足りないのは、ここのところ、全粒粉ビスケットとお握りばかり続く配給を見れば明らかだ。
配給のために、避難所に行くと、皆、不満も言わず、助け合っているよ。
役割を分担して、水と食料の配分、寝具の追加も混乱なし。
お年寄りの病人には、何人かのチームで寝返りを打つ手助けをしている。
子供が、不安になって、泣き叫んでいると、一生懸命、子供の話を聞いているよ。

お父さんと母さんは、植物工場のプラントに、動員された。微生物で、タンパク質も作れるそうだ。
何でも、小さな工場を、いっぺんに千個も作るんだって。
お隣のk国と、r国も、同じことを考えていて、資源の確保が大変なそうだ。
どこに作るかで、一番もめているらしい。

やはり、九州と四国以外は、無理なのかしら?
日本は、無くなってしまうのかも知れない。

7.移民計画

二ヶ月後、TVで、全国の放射能被爆マップが公開された。やはり、九州と四国以外は、難しいんだって。
k国とr国から、中国とロシアに、多数の難民が流れ込んでいるらしい。
国境で、殺されちゃった人も居るらしい。
日本は、陸続きでなくて良かったのかな?
今後のことは、誰にも分からない。

僕たち兄弟は、九州に行くらしい。
飛行機でね。プラント作りの準備で、やっぱりヘトヘトの一ヶ月だったけど、皆、元気だよ。
甲状腺の病気の人が、チラホラ出てきたのが気がかりだけど。医療機器が足りないから、その人達も一緒だよ。
いずれ、健康な希望者も移送するそうだ。
TVのニュースキャスター達は、冷静な対応を求めているよ。

放射能の影響は、確かに、何万年も消えないし、何百年かの間、居住に適さないよ。
残された人達に、九州でも、四国でも、受け入れの反対運動もあるみたいで、大変そう。
でも、僕やウランや、コバルト兄さんは、どこでも生きていける。
僕らに対する使命が何であれ、頑張らなくっちゃ。

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