父に捧げるうた

0.プロローグ

野原には、心地よい春の風が、吹き流れていた。
ヒバリさえずり、失速から見事立て直し、かしこの草群れに舞い降りゆく。
彼方には、トンビ、ゆうゆう眼下を睥睨し、
見渡す地平に、広葉樹、光散らし、きらめく。
川面には、ブヨ、丸い塊をなして風に流れ、
きらめきながらもゆるやかな流れに、一群のアユ、泳ぎたわむる。
すべての生きとし生けるものが、流れのままに、すばらしく、完璧な世界だ。

トビオは、崖の上に立っている。
多少やせぎすだが、身なりのきちんとした、普通の中学生の男の子。
さらさらの髪を、風になぶらせている。

やがて、ふっと、笑みを浮かべ、そのまま身を投げた。

1.岩田財閥

岩田国雄は、移動中の車で電話をとった。
普及している体内埋め込みの通信チップではない。
象牙の流木風彫刻が持ち手になっているアンティークの電話機を握っている。
エアカーの内装も、アンティークのリムジン風で広い。
無人ではなく、ロボット運転手がハンドルを握っている。
恰幅のよい体には、高級なスーツをまとっていたが、寝不足からか、表情には疲労が滲んでいる。
「岩田国雄さんですか。」
「そうだが。。」
「こちらは、くつわ記念病院の緊急措置室です。
息子さんが、崖から落ちて、危篤状態です。」
今時貴重な、本物の牛革レザーシートにくつろぐ、岩田の表情が、にわかに、かき曇った。
いつも、陽気なモードに設定されている、ロボット運転手が言った。
「心中、お察し申し上げます。」
全ての騒音が消え、電話で会話する自分が、他人のように感じられた。
ナゼソンナコトニ フタタビ
しっかりと前を見据えた瞳に涙が溢れ、
日に焼け、深いシワの刻まれた頬を伝った。

22世紀になって、医学は飛躍的に進化した。
臓器移植による延命は、一般的になり、倫理的問題にも、法的な対応が進んだ。
富裕層は、良質な臓器提供を求め競った。
岩田財閥は、臓器市場で圧倒的な優位を得て君臨していた。

岩田の資産は、医療機関のみならず、貧者の救済施設から富裕層のリゾートに及び、
莫大な基金の管理運営を担う金融機関をつなぐ、一大コンツェルンをなしている。
優位性を産み出している要因の一つには、遺族への手厚い対応がある。
もう一つ、
臓器売買と紙一重の、臓器の生前贈与の手順を立法化するロビー活動に、闇の資金が関与していると見られていた。
そのため、岩田は、マスコミから、ハイエナと呼ばれていた。

しかし、息子の通うのは、カソリック系ミッションスクールである。
いじめは考えられない。

ナゼダ ナゼダ ナゼダ
岩田の脳裏を、同じ問いが、幾度も繰り返された。
ナゼダ ナゼダ ナゼダ

2.脳死

病院に着いた岩田は、すぐに、緊急措置室に通された。心臓マッサージと人工呼吸を続けている。
しかし、心電図も脳波もフラットで、儀礼的なものと一目で理解した。
何よりも悲惨なのは、頭蓋骨がパックリと割れている。
岩田も、医師である。深く、お辞儀をしてから言った。
「もう、いい。処置を止めて結構。」
脇の救急救命士が、状況を説明した。
白衣の下に、登山靴を履いている。
「国立公園のドローンが、ご子息の事故状況を目撃し、画像認識ソフトが警報しました。
何分、搬送に手間取ったのが致命的でした。」
「申し訳ないが。
遺体は、保冷容器にいれて、岩田記念病院に移してくれたまえ。」
傍らにいた、サンダルばきの白衣が割って入った。
40がらみに見える。ここの中堅医師だろう。
「今回の、息子さんのことは、誠にお気の毒ですが、、死亡診断書は当方で、発行致します。
当病院の義務であることはご承知の通りですので、、、」
「誠に申し訳ない。くつわ君に話は通すので、作成を待ってくれたまえ。」
その間も、岩田の頬には、大量の涙が流れている。岩田は、拭おうともしない。
医師も、その目力に、言葉を失った。
まるで、何かに取り憑かれたように見えるし、逆らえないものを秘めている。
このような実力者の、さらに常軌を逸した事態に、逆らっても無駄だと感じさせた。

岩田の考えは、すでに、決まっていた。

3.脳移植

確かに、22世紀になって、医学は飛躍的に進化した。
驚くべき蘇生力を有する臓器は、ips細胞の助けもあって、数多くの人命を長らえさせていた。
しかし、脳移植にあっては、未だ、芳しい成果を挙げずにいた。

拒絶反応を抑制し、数万を超える毛細血管の接続を促す人工細胞+カーボン=ナノチューブ.。
電気信号と、神経伝達物質の補給、バランス制御を組織化するAI。
肺の部分移植で培った技術は、ミクロレベルに達している。
それにも関わらずである。

何より、膨大な生体エネルギーを要求するこの臓器は、心停止から一時間もすると、使い物にならなかった。
マウスをはじめとする様々な動物実験でも、身体バランスを崩したり、凶暴化したり、逆に、無動にしたりした。
人体実験など、論外である。
現に、動物実験の最先端は、岩田記念病院が担っているのだ。
岩田自身が、その限界を熟知していた。

死体安置所は、40疂ほどあり、冷房が効いて寒い。
岩田の目の前には、永年の付き合いである同僚、吉田医師が立っている。
痩身の体に、よれた白衣が、背広の上に無造作に羽織られている。
目をつぶり、瞑想するように語った。
「川に落ちたせいか、思いの外、身体の損傷は少ない。。。脳は別だ。」
横にある超伝導浮遊の保冷容器には、トビオが横たわっている。
右腕にサポーターが巻かれていた。通信チップをシールドしていたらしい。
素材は、おそらく伝導性繊維。
「お願いしたいのは、電話で伝えた通りだ。聞いてもらえるかね。。。」
吉田医師の表情にも、苦悩がある。
「君と私の仲だ。気持ちはわかる。」
「無理なことは、じゅうじゅう理解している。君にしか、頼めないのだ。」
「ああ。トビオ君の出生の件でも、私は既に共犯者だ。。。しかし、それでいいのかね。」
「知っての通り、時間がない。私の気持ちは決まっている。」
「私は、とても残念だよ。こんな結論しか無いとはね。」
「重ねて、申し訳ない。一刻を争う。急いでほしい。」
「ああ。その通りだ。」

岩田は、自分で麻酔をうち、笑気ガスのマスクをつけ、空いたベッドの一つに横たわった。
過去の、様々な映像が去来した。

4.国雄

冷たい笑気ガスの香りの中、岩田の脳裏に、子供時代の、いじめを受けた様々な映像が流れて行く。

児童施設の上級生たちからは、トイレに押し込まれ、スリッパをくわえさせられた。
信頼していた職員からは、奨学金の全部を引き出され、殴られた上、職員の雲隠れでオクラ入りになった。
バイト先のハンバーガーショップでは、店長から毎月100時間のサービス残業を強いられた上、残業代をピンハネされた。
でっぷり太って、40代で禿げ上がった店長には、目を細めて、笑いながらの決め台詞があった。
「施設育ちのお前なんかを、雇うところは、うちくらいだ。。。なあ、頼むよ。」だった。

殴られるのは、日常だった。
泣くことは、しばし忘れた。

岩田は、捨て子だった。
零歳児のうちに、施設の玄関に発見された。
置き手紙に、「この子の名前は、岩田国雄です。よろしくお願いします。」とだけあった。

同じ日の夕刻に、列車の踏み切り事故があり、一人の女性が死亡した。
名前は、岩田道子。二十歳になったばかりである。
新聞記事は小さく、母子家庭で、経済的困難があったこと、前夫がアルコール中毒で、最近亡くなっていることのみ、報じられた。
児童福祉事務所が調査したが、 出生届は出されていなかった。両者ともに身寄りがないことが、判明した。
無職の前夫の借金は、悪質町金融に及んだ。町金融は、遺族と偽って、遺体の臓器引き渡しを要求したが、認められるべくもない。
事故の賠償請求を突きつけられて、引き下がった。葬儀は、市長名義で行われた。

岩田は、様々な虐待に耐えながら、能力を伸ばした。奨学金で医大に進み、医者になった。
教授の目にとまり、進んだ医局は薄給だったが、医療基金で、アメリカ・ヒューストンの病院への交換留学も果たした。
外科手術の腕を買われ、大病院の引きで、院長の一人娘ルミ子と結婚した。
岩田、34才の時である。
なんとか持ち直しての、新たなる人生の幕開けであった。

ここから、暗転した。

美形のルミ子の外見に、一時は夢中になった岩田だが、
結婚式の後のホテルで迎えた初夜も、ルミ子は先に休んでしまった。
「あー、お腹がすいた。皆の見てる前で、重いかつら着けて、何にも食べられなかった。
ルームサービス頼むね。あ、これ、鰻重。。。もしもし。。。」

ハネムーンで到着した、マイアミのホテルのロビー。ルミ子が居なくなる。
帰ってきたのは、明け方である。
息が酒臭い。
彼女は、マイアミに、家族旅行で何度も来ている。
なぜ、ハネムーンにも、マイアミと固執したか、謎であった。
もしかして、他の男と会っていた?
はじめて合点のいった岩田であった。

わがまま一杯に育てられた娘とは、最初から折りあい合わず、夫婦仲は急速に冷えていった。
子供は、結婚の翌年に長女を恵まれたが、母親の申請により、嫡外子と認定を受けた。
ハネムーン時に、すでに、妊娠していたとの噂があった。

結局、二年で離婚となり、莫大な慰謝料を元手に、臓器移植ビジネスを立ち上げた。
トビオが飛び降りる20年前のことである。

5.スミ子

岩田の悪夢が続く。
時間は、さかのぼる。

ここは、新宿のデパートの高層階にあるレストラン。
伊勢海老の天ぷらが廉価に提供されているのが話題となり、賑わっている。
岩田の向かいには、小笠原スミ子が微笑む。
インターンの薄給には、ここでも、高過ぎるご馳走である。一気に食べ終えた岩田を見て笑っている。
スミ子が微笑むと、目が細められて、猫のような表情になる。
ビジネス街で浮かない程度に鮮やかなブルーのワンピースを着こなし、ヒールは白だ。
長いストレートヘアに、右手をあてている。

「国雄は、食べるときもせっかちね。仕事も忙しいんでしょ。
まるで、カツオ。泳いでなきゃ、死んでしまいそう。」
「ああ。奢ってもらって、感謝してるよ。」
ヒモのような関係は、スミ子が施設を出てからのことである。
施設にいた頃のスミ子には、地味な服装とざんばらの髪型もあって、近寄りがたい雰囲気があった。
話すことも稀だった。スミ子は二歳年上で、先に出所した。
まもなく、呼び出されて、雑談しながら食事を奢ってもらう日々が続いた。

ある日、二人で歩きながら、スミ子のほうからラブホテルに入って、手招きした。
岩田には初めての女だった。

施設には、悪い上級生のグループが居た。
少し知恵の遅れた、サユリという女性が入ってきて、食い物にされた。
食い物と言うのが、いつからなのか、知らない。
岩田が知った時点で、俗に言う、ニンフォマニアック、色情狂になっていた。
岩田は、先輩から促されても、殴られても、彼女とは交わらなかった。
やがて、彼女は、岩田になついて、話しかけるようになった。
人前で、足に股をすり付けるのには参ったが、笑顔を可愛いと思った。
妹のように思って接していた。ほんの少し、温かいものがあった。

彼女が、突然、失踪したときは、本気で心配して探し回った。
7日後に、彼女の死体が川から上がった。葬式でも、岩田は、泣かなかった。
入所から僅か六週間のことで、岩田も、自分の気持ちに気づいていなかったからである。

スミ子への気持ちも複雑だ。
彼女にも、何らかの性的虐待があったに違いないと確信していた。
それに、どう対処してきたのか、恐ろしくて聞けない。
どうやって、生計を立てているかも、聞けない。
何を目指しているのか、まったく分からない。理解する自信も無い。
ワカラナイ

夫か、少くとも、パトロンが居るに違いない。もしくは、風俗業か。
岩田には、女性一般への、強い恐怖の自覚があった。
子供を設けることへの恐怖に由来すると分析していた。
自分の子供はおろか、自分にかかわった者すべてが、不幸になるという確信があった。

スミ子との関係が途切れたのは、ヒューストン留学のせいである。
それでも、二年にわたる留学の終る半年前に、岩田は、一時帰国でスミ子に会った。
奨学金の返金猶予の手続きのためであった。

食事をして、いつものようにラブホテルに入った。
いつものように、バスルームでゆるやかにペッティングし、スミ子は放尿する。
岩田は、純粋に医学的興味から尋ねた。
「前から、ふしぎだったんだけど、、、いつも出すことが可能なの?」
スミ子の目が一瞬だけ、険しくなった。
「あなたの時だけよ。」
「。。。。。」
岩田には、一言もなかった。とりかえしの付かない一言の気がした。
スミ子は、見たことの無い、遠い目をした。

それから、ベッドで交わるのだが、この日のスミ子は変わった要求をした。
「避妊はしないで。安全日なの。」
いつもの、不思議な、猫のような笑顔である。岩田は、気まずさもあって、反論出来ない。
その日のスミ子は、いつになく情熱的で、声をあげて、身悶えたのを記憶している。

留学からの帰国早々に、スミ子を病院の受け付けで見かけた。
ゆるやかなマタニティからは、腹部がせりだし、妊娠三ヶ月を優に越えている。

岩田は、2重の意味で驚いた。職場に来ること自体、スミ子は遠慮していたのである。
「どうして。。」
「ごめん。妊娠中毒と言われたの。どうせなら、国雄の病院に入院したくて。」
ケロリと言い放って、廊下を足早に去った。

病院食堂で、岩田は、担当医の瀬戸に尋ねた。医局の二年後輩なのだが、タメ口である。
岩田としては、そのほうが話やすい。
「小笠原スミ子の事なんだが。。。。実は、私の友人なんだ。」
「またまた。君の女じゃないのか?」
「よせよ。とにかく、どんな具合だ?」
「大丈夫さ。今の医学は進んでいる。出産くらい、何とでもなる。ちょちょいの、ちょいさ。」

ところが、予定日の一ヶ月前に、瀬戸から電話があった。
うって変わって、切迫感がある。かつてない真面目さである。
「申し訳ない。緊急事態だ。彼女は、保護者の連絡先を登録していない。
だから、君に、誓約書のサインをお願いしたい。」
「どういうことだ。」
「今は、母子とも安全とは言えない。どちらかを、選ぶ可能性がある。彼女は、産みたがっている。」

岩田は、スミ子の病室を訪れた。
スミ子は休んでいた。見る影も無く痩せこけて、ほお骨が張っている。
髪に添えた左手の、腕時計型端末は、腕が細くて、ダブダブだ。
やがて、目を覚ます。
「嫌。何?私を見ないで。出てって。」
「同意書に目を通したよ。」
「。。それは、サインしてほしいの。迷惑だけど、、、迷惑ついでだよね。」
「僕たち、やりなおせないか?」
「。。無理よ。あなたと、私の、唯一の共通点を知ってる?」
「。。。。わからないな。」
「二人とも、チャンスは一度しか無いと知っていることよ。」
「子供なら、また作ればいいさ。」
「私が死ねば、子供は、生き残るわ。あなたの母親もそうした。」
「。。。」
岩田は、この言葉にも反論することができなかった。いつも、全く勝ち目がない。
「お願いが、もう一つあるの。。。。
私が死んだら、、もし死んだらだけど、トビオのへその緒を、お棺に入れてね。
天国に行けるそうなの。」
初めて聞いた話だった。見ていられずに、病室を去った。

岩田は、緊急措置の同意書にスミ子の保護者としてサインした。
スミ子は死亡し、スミ子が命名したトビオが残った。
500グラムの未熟児として生を受け、トビオは、無菌カプセルで泣いていた。

人は、泣いて産まれる。

6.トビオ

岩田は、自問する。
ジブンハ トビオヲ アイシテイルカ
答えは、分からない。
ジブンハ スミコヲ アイシテイタカ
答えは、多分。
ジブンハ ダレカカラ アイサレテイタカ
分からない。
スミ子は、心から家庭に飢えていた。
それは、岩田にもわかる。
しかし、スミ子は、自分の家庭事情を、一切話さなかった。
子供の父親として、自分を選んだ。
理由を尋ねる機会は無かった。
医大進学を勧めた男の高校教師も、中学校の理科の女教師も、自分をひいきしてくれた。
それには、教師自身の果たせなかった夢を賭けていたことが、明らかだった。
岩田は、自分が、愛を知っているとは思えなかった。

岩田は、トビオの遺伝子チェックをした。案の定、自分の息子に間違いない。
自分の子として認知し、施設で知り合った姉御肌の友人、筧マサ子の託児施設に預けた。

病院長から呼び出された。
一人娘との、縁談は、結納の日取りまで決まっている。岩田は、破談も覚悟していた。
しかし、肩透かしのように、一言で片付けられた。
「挙式までは、身辺をきれいにしておくことだ。」
スミ子のことは、調べあげて、私以上に知っているに違いない。
院長の苦笑いが、チェシャ猫のように、視角に残った。

結婚し、離婚し、事業を立ち上げ、時間は飛ぶように過ぎた。
毎週、日曜だけが、トビオと過ごす時間である。時間が岩田の心を解きほぐした。
自分を慕う無力な赤ん坊と過ごすことを、いつしか、心待ちにした。
一緒に、屈託ない笑顔になることを、初めて知った。

トビオ5才の時に、再び、運命は、岩田に試練した。

7.クローン

電話は、マサ子からだった。
「クニちゃん、ごめんなさい。」
気丈なマサ子が、泣いている。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。」
トビオは、てんかんを持病に持っていた。
何度も、ひきつけを興して、病院に担ぎ込まれている。
マサ子は、一度も取り乱したことはなかった。
「本当にごめんなさい。
トビオ君が、突然死しちゃったの。
私が、目を離していたお昼寝の時間に。」
マサ子は、多忙な日曜日も、トビオと岩田三人で出掛けることが増えていた。
彼女も、我が子のように、思っていたはずである。
一緒に遊園地に行った、つい、こないだなど、「私に、くれない?」とも言っていた。
男性に興味の湧かない彼女にとって、それは、真剣な願いだった。

「今、どこに?」
「あなたの病院に搬送してもらった。」
トビオの神経科の掛かり付け医は、別の病院だったが、確かに、岩田記念病院の方が近いのは、確かだった。

死体安置所でも、マサ子は、取り乱したままだ。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。。。。」
念仏にように、繰り返している。涙は、枯れ果てたようだ。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。。。。」

傍らには、開業時からの同輩である吉田医師がいる。
直接、事情を話して、予め呼び出していた。
神経科の診断医は、引き取らせた。
「マサちゃん。トビオの死亡診断書は出さない。絶対に、秘密にしてくれ。」
「え?どういうこと?」
「トビオは、クローンとしてよみがえる。」

吉田が、割って入った。
「何を言っているんだ。分かっているのか?」

クローン技術は、確かに、20世紀でも実現できる簡単な技術だった。
しかし、人間への適用は、別である。22世紀にあっても、倫理的重罪に値する。
母胎を必要とすることは、もはや、無かった。
エストロゲンシャワー、免疫を含む初乳、すべてシミュレーション可能になっている。
受精卵の場合には、ips細胞の大型培養器でも、充分に機能する。
高価でさえなければ、スミ子の妊娠中毒も解決できたのが、岩田の悔やむところであった。
秘密裏に軍需産業で行われているとの噂も存在する。いわば、公然の禁則事項なのである。

それは、素人のマサ子にすら理解されている。
「葬式も出来ないの?」
「ああ。申し訳ない。」
「私は、もう、関わらないからね。二度と、ごめんよ。」
「ああ。本当に、よくしてもらったと、感謝している。」

吉田医師が、食い下がる。
「職員には、どう説明するつもりだ?」
「一命だけはとり留めて、コールドスリープに入ったと伝える。」
これも、かなり苦しい説明である。
この病院で使う保冷設備は、臓器のみで、一年以下のケースばかりだった。
富裕層からの希望はあったが、人体全体には提供していない。
失敗確率が1パーセントでも、大きすぎるからだ。

岩田記念病院の財力がものを言った。吉田医師を含む若干名の職員と、マサ子以外に知られることなく、秘密は守られた。
岩田も驚いたことに、一ヶ月もすると、マサ子がクローンに会いたいと言ってきた。

これが、愛の力なのか

トビオは岩田に似ず、病弱だった。
それが、クローンであることによるのか、母親に似たのか、岩田には興味がない。
神経が繊細で、時折、てんかん発作を起こした。その度に、岩田は、仕事を擲って駆けつけた。
右腕に埋め込んだ通信チップで状況は、即座に伝えられる。通信チップ自体は普及型の一般品であるが、一つだけオプション機能が付けてある。
精神状態のうつ病症状をモニターして、警報する機能であった。

少年期にあって、脳内の活性化セロトニンの減少は、20世紀から着目されている。
ところが、セロトニンのアップレギュレーションは、むしろ、飛び降りなどの副作用を、もたらした。
従って、岩田も、薬剤利用には、慎重で、環境整備に留意した。
スポーツ少年団に入れ、友人を増やすようにした。
空き時間の少ないスケジュールを縫って、土曜日は、山歩きを共にした。

クローンとして、再生する前とは、岩田の態度に、雲泥の差があった。
どう、付き合ってよいものか、五里霧中だが、対等な友人として扱い、うまくいっていると考えていた。

ある時、二人で尾瀬の湿原を歩いた。
トビオは、おずおずと切り出した。
「お父さん。ひとつ、聞きたいことがあるんだ。」
まばたきして、通信チップからのグラフをサングラスの一角を占めるモニタでチェックすると、セロトニン濃度が、減少している。
「何でも、言ってみなさい。」
岩田は、少し身構えた。
「お母さんは、どんな人だった?」
切れ長の目に、睫毛が長い。
スミ子のことを、思い出した。
「こんなことを言うと、誤解もあるだろうけど、、子供を、自分の命より大切に思っていたよ。」
「うん。それは、聞いた。僕は、自分を責めないことに決めたんだ。」
風が吹きわたり、トビオの足元にある、仏の座の白い花弁が、震えた。
「そこのベンチに掛けよう。」
ベンチは木製で、ところどころ朽ちていた。
「お母さんは、どうして、お父さんを愛したのかな?」
「それは、難しい質問だね。正直、お父さんにも分からないんだ。」
陽光は強く、トビオの瞳は涙色に輝いていた。
「僕は、お父さんの、一生懸命なとこが、スゴいと思うんだ。お母さんは、寂しくなかったのかな?」
「トビオはどうなんだ?君は、寂しいかい?」
「僕も、時折、寂しいけど。でも、お父さんみたいに、一生懸命考え始めると、寂しさが消えるよ。」
スミ子も、そう考えたろうか?
多分、彼女自身は、一生懸命で、寂しさを感じる暇も無かったろう。
トビオのストレートヘアが、風に揺れて美しい。スミ子と同じだ。岩田の髪は、すぐに捻れてカールしてしまう。
「お父さんも、きっと、お母さんの、ひた向きなところを愛していたと思うよ。」
岩田は、言ってから、自分の言葉に驚いた。
「わかった。どうも、答えてくれて、ありがとう。」
親子の時間が過ぎていった。
ふと、気付くと、岩田の瞳にも、涙が溢れていた。

8.三夫

岩田は、一週間後に目覚めた。
二週間後には、神経もつながり、起き上がって発声練習を始めた。若い身体は順応性が高い。
三週後には、鏡に写るトビオの顔にも慣れてきた。
無愛想な表情に、嫌けがさして、無理して笑ってみた。
その若々しい笑顔に、思わず涙した。

岩田国雄の死亡診断書は提出してある。
全資産は、息子の岩田トビオが引き継いだ。若干15才の後継者だ。
岩田のしたこと。
まず、トビオの日記を見つけて開いた。トビオは、何を考えていたのか?
岩田は、知りたかった。知るまでは、そこに意味があるとは予期しなかった。
今度こそ、愛を自覚している自分が居た。

自分の愛を含め、トビオのことも、何も、気付かなかった自分に愕然とした。

三月二十日、晴れ
僕は、岩田トビオとして、生を受け、家庭教師の二階堂さんから学んだことを、ちゃんと実践して、世の中を良くしたかった。
でも、とても難しいことが、わかってきた。
世界は、こんなに素晴らしいのに、三夫くんに何も、手助けできなかった。
僕のような、コピーには、オリジナルの役にたつのが、無理なのかもしれない。

トビオは、クローンであることに、気づいていた。
ミツオトハダレダ

日記の最後から、慌ただしく、前を探す。

三月十日、雨
学校帰りの体育館横で、三夫くんが、苛められているのを見た。
飯島くんグループの三人で、殴ったり蹴ったりして、財布からお金を抜き取った。
三夫くんは、泥まみれで、泣いていた。
こないだみたいに、声をかけたら、三夫くんから「あっちへ行け」と言われそうで、今回は近寄らずに逃げた。
二回目も告げ口したのに、担任の荻原先生は、なにもしてくれていない。もう、十日も前のことだ。
きっと、今度も、無視されるのかな?告げ口は、悪いことだから、先生は、内緒で対処するからねと言っていたのに。
無視されるのは、嫌だな。
どうしたらいいのか、分からない。

クローンであることに気づいていたトビオにとって、自分は、相談相手にもならない不実な相手だったのだ。
良かれと思って、隠し通した秘密を、トビオは負い目にしていた。

スベテハ、アトノマツリ
岩田は、日記を繰り、二階堂の教えなるものを探し求めた。

一月一日、晴れ
家庭教師だった二階堂さんが、お年玉と言って、本を下さった。
アルビン=トフラーと言う、二十世紀の学者の本だ。
少し読んだら、社会の力の源は、暴力から、富、そして、知恵へと進化しているんだそうだ。
三夫くんは、暴力に立ち向かえずに、お金を奪われている。
僕が、知恵を使えば、三夫くんに役立てるかも知れない。

岩田は、同級生の四十万三夫の母親に連絡を取った。
本人に逢えば、トビオの持っているべき記憶が、無いことに気づかれる恐れがあった。
父親は、四十万重機のCEOであり、面識もある。最大手の軍需産業だけあって、武器の密売の噂がある。
政界にも深く介入しているのも知っている。情報を引き出すには、手強すぎる。
現在の自分は、岩田トビオであり、同級生である。
お嬢様育ちという噂の、母親に、接触することにした。

チャイムを押すと、お手伝いさんと思われる中年女性の声がし、三夫君の同級生ですと答えると、応接間に通された。
グランドピアノが置かれ、白を基調とした洋館風の内装に、猫足に統一した中世欧風の家具がマッチしている。
出窓に飾られた深紅のバラが目に痛い。
ティーカップは年代物のウェッジウッドだ。ターコイズのあせた色あいが見事だ。
ローズヒップティの朱色も美しいが、慣れない体では、こぼしそうで、スコーンを味わった。

母親は、白いレースが印象的な、細身のドレス姿である。美形だが、神経質そうだ。
「三夫の同級生だと伺いましたが。。」
「はじめまして。今日は、とても大事なことをお伝えしたくて、伺いました。
三夫くんが、学校のグループから、苛められているのをご存じですか?」
三夫が登校中の、平日を狙っての来訪である。三夫に直接、確認は取れない。
「いいえ。そんなはず、無いのだけれど。」
「お金の使い方が、増えていませんか?」
「それは、あるけど、三夫だって、自分を守る程度の装具は、着けてますのよ。」
母親は、護身用ショックリングを、指しているのだろう。相手の行動を、数分間無力化出来る。
「お母さん。いじめと言うのは、精神的に弱いところを突いてくるので、武装だけでは、補えないんですよ。
三夫くんは、無抵抗でした。彼には、何か、決定的な弱味があるのではないですか?」
「そんな。」
「失礼ですが、、、彼は、クローンでは無いですか?」
「いいえ。」
「彼の行動には、自分を無価値だと思っている節があります。
徹底的に無抵抗でしたし、担任教師も、僕の通報を無視しました。」
「あなたは、三夫の、良いお友達なのね。」
「。。。そうあるように、努めています。」
「あなたは、AI(人工知能)にも、同じように接してくれるかしら?」
「。。。僕は、クローンです。」
「。。。何てことでしょう。」
「僕のオリジナルは、五歳の時に死んでいるんです。」
「三夫は、二才の時に、自己免疫不全で亡くなったのよ。
記憶は、生育歴を有機記憶素子にプログラム化して作られたので、感情も自己防衛機能もあるわ。
大脳辺縁系と肉体は、クローン培養だけど、やはり免疫系が弱くてね。
毎年、全細胞の再生交換が必要なの。全身麻酔だけど、多分、本人も、担任も、気付いているわ。」

トビオよりも、残酷な人生がここにもあった。
知恵は、人を救うために行使される。しかし、その悩みや苦痛を増やしているのも、事実である。
22世紀にあっても、クローン、AI、ともに、非公式な存在だ。
ペットよりも権利はあるが、人権は制約を受ける。
殺されれば、最大級の賠償を求められるが、存在価値は、関係者に依存する。
親が死ねば、彼らは、市民権を失う。

どちらを選ぶか?
四十万が、軍事用クローンを見た経験を有するなら、あの狂人集団を自宅に招くことはありえない。
クローンは、精神を病んで自殺する。
それは、人間社会の宿命となっている。
22世紀になっても、人類の大半が、「神が自分に似せて作った存在である人間」のみに、尊厳を認め、
それ以外の全ての生命体を、人間より劣るものと考えている。
それは、クローンとして生まれた者の自己評価を0もしくはマイナスにする。
だからこそ、岩田は、トビオに対しても、クローンであることを、徹底的に秘密にした。

AIも同じだが、どんなに苦しくとも、自殺出来ない。
ロボット工学の第三原則、自己防衛機能ほど迷惑な機能は無いであろう。

で、三夫は反撃できるかといえば、これも出来ない。
AIには、準合法とするための二つのルールがあるからだ。
一つは、GPS(GeographicPointSystem)による位置情報の発信。
二つ目は、過度のアドレナリン放出時の、CPU停止。
この場合、人間が駆けつけて、再起動するまで、停止は続く。
本人と周囲には、てんかん発作として説明するのが一般的である。
ショックリングは、唯一の防御手段であるが、本人は、利用を放棄するに至った。
その理由が、トビオと同じところに有るのは明らかだ。。

人類が滅んだ後は、どうだろう。
地球上で、最も利己的、かつ、最も野蛮な、ホモサピエンス。
21世紀の歴史学者ハラリによると、脳容積で自分たちに優るネアンデルタールを滅ぼした後も、
土地の独占だけのために戦争を続けた種族。
私は、トビオの冷凍保存を、遺言書に残している。
それが、彼に必要となった場合、彼は、権利を行使しただろうか?
未来は、彼等に、より寛大であることを願うばかりだ。

「僕は、友人であり続けたいと思います。」
「ありがとう。」
母親の目に、涙が溢れ、彼女は、慌てて部屋を去った。

9.新規事業

岩田の親しんだ環境とは、どんなものだったか?
岩田の寝室は、全面がモニターになっており、24時間、海の中のホログラムを流している。
珊瑚の海底には、朱や黄色の海草が繁茂し 、熱帯のカクレクマノミ、様々なハゼ、エビや、マンタが泳いでいる。
岩田は、20世紀中庸のジャズを愛していた。
ベッド脇のワゴンに載った、筆箱ほどの大きさの、質素でコンパクトなオーディオ機器で、毎夜、音楽を聴きながら休んだ。
お気に入りは、父に捧げる歌。song for my father.
ホレスシルバーの代表曲で、インストルメンタルのみの名曲だ。
冒頭に、ピアノがリズミカルに音を刻む。ダダーン。ダダン。ダダーン。ダダン。
男が階段を降りてくる。
顔の見えない男だ。
やがて、ホーンセクションが語り出す。

オマエハ ナニヲ シテイル?

カツテ オレニモ エイコウノ ジダイガ アッタ

ウツクシクテ カナシイ オマエノ ジンセイヲ リカイシテヤロウ

岩田は、思った。

オレノ チチオヤハ ドンナ ニンピニン ダッタノカ

オレハ ドンナ マトハズレナ チチオヤデ アルコトカ

トビオノタメニ シテイルノカ ジブンノタメカ

全てを疑い、シミュレーションし、結果を占った。
鏡を見詰めても、トビオの笑顔は引き出せなかった。
ただ、涙が溢れるだけだ。

コノ カナシミヲ ヨロコバネバ ナラナイ

そして、安らかな、眠りが襲った

~~~~

目覚めた岩田は、トビオの遺志を継ぐことを決意する。
三夫くん一人を救うのでなく、この社会の、一つの根元的不条理、富の在り方を変えることを決意した。

岩田トビオは、秘密裡に、新たな事業をスタートした。有能な三人のプログラマーを高給で雇い入れた。
インドと中国とアメリカに住んでいる。
三人は、互いに、メールでのみやり取りし、トビオが仲介する。
三人とも、絶対の安全を保証された上で、トビオのプランに、驚きを隠せなかった。
プランの第一ステップは、調理ロボットのウィルスに関するものだった。

22世紀にあって、調理ロボットは、インターネット上の膨大なレシピを参照していた。
内部に、3Dプリンタを備え、小麦粉と米粉と澱粉と動物/植物タンパク、ビタミン/ミネラルから、さまざまな素材を合成した。
エアカーゴで取り寄せた自然素材も扱う。
ユーザーは、料理の写真から、「昆布だしのコク深めに」など、今日の気分を伝えるだけで良い。
調理ロボットの中枢を担うCPUには、高性能のバイオチップが使われた。
そのくせ、気まぐれなユーザによる稼働率は、とんでもなく低かった。
多くのウィルスに狙われたが、被害が少な目なこともあって、対策は後手に回ることが多い。

ウィルスのターゲットは、コンピュータの中でも最高峰のセキュリティの要、認証サーバだ。

22世紀の金融機関の商取引は、256ビットのキーを使って暗号化されている。
スーパーコンピュータの最高峰でも、何百年と言う解読時間を要する。従って、国家的なプロジェクトでも破り得ない。

認証サーバの管理は、職員の選定、職権の分散化から、サーバーの三重化、
サーバー設置建物の温存機能まで、どの金融機関よりも厳重である。
建物に至っては、風水害、地震は元より、核攻撃でもしないかぎり、破壊できない。
ところが、どんなシステムにも、稼働している限り弱点はある。

攻撃も、攻撃の結果も、一瞬のことだった。
第一波は、認証サーバへの攻撃。
9000万台の調理ロボットによる高負荷攻撃の結果、タイムアウト・リトライ・ルーチンを特権モードで呼び出した。
ルーチン番地は偽装されており、全ての認証サーバが、同時に、架空の商取引をもたらした。

第二波は、金融機関への攻撃が続く。
世界中の認証サーバが、まさかの悪役を引き受け、銀行サーバを襲った。
商取引は、すべての百万ドル以上の口座を参照し、百万ドル以下の海外口座に振り込んだ。

ヘッジファンドが消え、大口口座が姿を消した。
取引を記録するはずの、ジャーナルも、ログも、消去された。

大量の資金操作の証拠は、銀行間の資金交換により無力化した。
金融機関の内部では、取引ごとにハンドシェイクが行われているが、
金融機関の間では、タイムラグが避けられない。
データの復帰は絶望的だ。

犯人も特定できないうちに、世界同時恐慌が起きた。

10.ホワイトハウスにて

24時丁度に、ホワイトハウスの電話が響いた。当直をしていた首席補佐官は、不躾な電話に機嫌をそこねた。
「こちら、JPMorgan Chase & Co.の頭取ですが、、、」
「ミルズ主席補佐官ですが。」
「深夜に恐縮です。ですが、一大事が起きております。いずれ、他からも連絡が集まるかも知れません。」
「なんだと。。。」
その通り、銀行のみならず、監督機関である、FSOC、FRB、CFPB、FRB、FDIC、はてはSECまで、報告が相次いだ。

ミラー大統領も1時間後に姿を見せた。
今や大統領自身の資産も危機に瀕している。
被害状況の報告取りまとめを3時間以内に指示した。
現場の報告とりまとめには2時間しか無かった。

事件の発生時刻はニューヨーク時間:23時50分。
システム緊急閉鎖までの時間、平均10分。
10分あたりの全米流動資産200兆ドル。

前々日24時に対する、逸失資産の推定額。
前日0時にロールバック時、-3兆ドル。
前々日0時にロールバック時、-2兆ドル。
なぜ、資産が殖えるのか?
この時点での究明は問題とされなかった。

ロールバックとは、コンピュータ用語で、この場合、不揮発記憶媒体のバックアップを復元する作業を指す。
ただし、ロールバックには限界があった。
タイムラグである。
膨大な記録の不揮発記憶媒体へのバックアップには、22世紀でも10分を要した。
ハンドシェイク=プロトコルの改良後121年、一度も使われなかった銀行が多くを占めたため、それで十分とされていた。
加えて、不揮発記憶媒体のバックアップ開始時間は0時に設定されていることが多かった。
米国での、事件直前へのロールバックは絶望的だった。
米国は、24時間前のバックアップへのロールバックしか出来ない。
大統領は、IMFおよびEUとの調整を、一瞬だけ考えたが、事態は急を要した。

ニューヨーク時間:午前8時。
大統領令発令。全米の金融機関に対して、前日0時へロールバックを指令。

結果的に、アメリカは、ロールバックという未曾有の事態に、慎重さを欠いた。
直ちに、抗議した国が中国だった。

あらゆる金融機関に被害が及ぶことは想定外であったため、金融機関の遡及可能な不揮発媒体の記録にはタイムラグがある。
ネットワークを飛び交っている金額は消えてしまう。
たった1秒でも、タイムラグを安全サイドに評価するバックアップでは、何億ドルもの売り取引を捨てることになった。
小口取引はもちろん、停止中の株式市場は見捨てられた。秩序の維持のためには、細かなことは言っていられない。
株価の上昇はこれまでの1ヶ月上昇を続けており、銀行間で矛盾のある記録の取引は、犠牲として捨てられる運命だった。
ニューヨーク時間の0時とは、地球の反対側で、資産流動が激しい時間帯であり、
最も被害を被るのはアジア、オセアニア地域だった。
中国は、自国の権利を主張した。

ペキン時間:午前8時の中国・ロシアの共同声明。
ロールバックに用いるのは、北京時間の当日0時であるべきである。

一週間の昼夜を分たぬ作業で計算された、中国の逸失資産の推定額は+20兆ドルに及んだ。
米国大統領令は、敵対行為と見なされた。

ペキン時間:一週間後の午前8時。
ロールバック時間を変更しないなら、核戦争もありうるとの声明が、リ・カクホウ人民会議主席から直接、発表された。
一分間での取引が100兆ドルに及ぶヘッジファンドを始め、多くの基金が復旧できないことが明らかになった。
国家間で調整を試みれば、世界大戦に発展しかねない。一触即発の危機が訪れた。

11.ミラー大統領

ミラー大統領の執務室に、深夜2時の訪問者があった。財界の重鎮トーマス・ハンクス氏である。
内密の話であるのは、いつもの事で、今回も、シークレットサービスと秘書室を、スルーパスで入ってきた。
「ジム、何の用件かは、分かっていると思う。」
「ああ、金融機関のロールバックだね。」
「中国人達の脅しに、乗る必要は無い。リ・カクホウ主席のハッタリは、国連の安保理に止めさせ給へ。」
「脅しではありません。過去の多くの戦争が、宗教であれ、民族の優位性であれ、正義を名目として、経済的利権を目的に行われたのは事実だ。
安保理自体が、我が国の利益より、東半球を優先している。ロシアが、EUを抱き込んでいるのも、ご承知と思う。
ロールバックには根拠がないのですよ。」
「その通り。力関係だ。分からないのか?決断力の問題なんだ。」
「何を決断するかと言う見方もあります。」
「何が言いたい。」
「トム。君とは、長い付き合いだ。率直に言う。君達経済界には、力を貸してくれたこと、感謝している。
しかし、そのパワーは、現在、空白だ。」
「此れ迄の秩序は、どうなる。」
「私は、貧困層の出身で、貧困層の為の政策を公約している。」
「しかし、ことごとく、議会で否決された。」
「その通り。私は、今回の事をチャンスと捉えている。」
「。。。。」
「悪いが、そう言うことだ。」
「此れ迄築いてきたアメリカの優位は、どうなる。」
「トム。世界が変わろうとしているんだよ。
一国の優位は、ヒトラーの掲げた、民族の優位と大差無い。今や、根拠を失っている。」
「ジム。こんな時でなければ、私は君を殺しただろう。」
「私もそう思う。」

結局、貨幣とは、何であったのか?
アルビン=トフラーは解き明かしている。
暴力のように敵にしか使えぬものでなく、味方にも使える兵器。

しかも、蓄えが効いて、通信により、瞬時に遠方に送られる。
永らく、食料に始まって、武器、自由から生命に及ぶ、何でも購えるものとして蔓延ってきた。
やがて、ネットワーク上で、富が富を増やす魔法のプログラムが、投資に対する投資として、流量を支配した。
人間活動に対する、二次のカオス系は、実体を持たずに権威を象徴し、人類を支配した。
確かに、その保持量による階級社会は、治めやすかったが、次なる社会の多様化を阻むものだった。
もっと穏やかな世代交代もありえた。
しかし、一方で、それへの怨念も、凄まじかったのである。

12.南トンガ共和国

交渉は、各国利害が対立したまま、泥沼化した。
一週間と見られた交渉が、1ヶ月経っても、目処が立たない。
その間にも、群衆が銀行および商店に列をなし、金融機関の電話回線はパンクした。
一切の金融取引が停止され、各国は、戒厳令を発動した。

大量の物資の売買が発生したが、殆どが倉庫から倉庫への移動だった。
ショッピングモールの商品が枯渇した。猛烈なデフレを予測した市場原理が働いていた。
人々は、闇市に赴き、医療品を、トイレットペーパを、食料を、物々交換するしかなかった。
国および州政府から、物資の解放令が相次いだが、品目が多すぎて、鎮静化しなかった。
食料や物資を求めて、暴動が相次いだ。
とりわけ、国民のほとんどが銃を持つアメリカが悲惨だった。貨幣価値は、無に等しくなった。

唯一、被害を受けていない国があった。南トンガ共和国と言う島国である。
この国では、クレジットと言う仮想通貨による、最低所得保障システムがとられていた。
人は生きているだけで、毎日1クレジットを社会保障番号に加算される。八時間働けば、2クレジット。
特段の社会貢献があれば、0.1クレジット程度の加算があるが、要求する人は稀である。
100万クレジットなどと言う口座は存在しなかった。
国の予算は、何クレジットを振り当てるかと言う計画であり、実在の口座を要しなかった。
そもそも、インターネットからの海外取り引きを禁じていた。
街中では海外銀行の支店が輸入品購入と海外企業社員に必要な両替を請け負ったが、汗の無い貨幣と言って嫌われた。
その時だけ姿を見せる、紙の南トンガ通貨が、とても扱いにくかったせいもある。
田舎の雑貨店では、ドルもユーロも南トンガ通貨さえも、通用しなかった。

アメリカ合衆国政府は、絶え間無い暴動に業を煮やし、とりあえず、警察と軍隊に、このシステムを適用した。
やがて、市民が適用範囲の拡大を要求し、大統領は治安及び生産復興の為の大統領令を発令した。

13.十人委員サム

ミラー大統領の治安及び生産復興の為の大統領令の会見後、一応の平安が訪れた。
一応と言うのも、根強い不満を含んだのは、予想通りである。
上は大統領から、下っ端巡査まで、一律2クレジットと言う、報酬制度への不満である。
以下は、当時、報酬見直しの事情聴取を担当した、十人委員サムの、記録である。

マクレーン大佐「君が十人委員かね。」
サム「サム=ホーキンスと申します。本日の会話は、記録に残ります。よろしくお願いします。」
マクレーン大佐「報酬への不満理由は一言で言えない。あまりに不可解なのだ。私と同じ考えの人間は、多数と思うのだが。」
サム「仰ること、分かります。」
マクレーン大佐「私は、家族に不自由させたことは、此れ迄、一切無かった。」
サム「暴動の間もですか?」
マクレーン大佐「あれは、緊急時だ。」
サム「どう言う不自由でお困りですか?」
マクレーン大佐「まず、私の母だ。特別老人ホームに入って、何不自由無い待遇だった。州でも、最高ランクの施設だった。」
サム「なるほど。入居費も高価だったのですね。」
マクレーン大佐「今は、最低価格のサービスだ。」
サム「その施設の十人委員に、サービス低下があると、苦情を伝達します。」
マクレーン大佐「わしにも、彼らの気持ちが分かるのだよ。人は、高い報酬で、仕事への意欲を掻き立てる。」
サム「ウェーバーの資本主義倫理観でしょうか。しかし、人が見ていない時は手抜きします。」
マクレーン大佐「わしだって、軍曹と同じ報酬なのは、納得出来ん。」
サム「今や、合衆国大統領や側近とも同じですよ。
もちろん、軍曹の仕事を望まれることも出来ます。責任は、軽くなり、ご家族との時間が増えます。」
マクレーン大佐「それでは、わしの能力が発揮出来ん。」
サム「そうですね。あなたは大佐であってこそ、本来の能力を発揮出来る。其れこそが報酬とお思いになりませんか?」
マクレーン大佐「それで、わしの形としての報酬は、どうしたら、増えるのかな?」
サム「今回の申請で十分です。貴方の上司十人と、部下十人の評価で、0.1クレジットの評価増が決まります。
財源は、国家予算ですから、施設評価が上がれば、他のメンバーの報酬を下げることもありません。」

マクレーン大佐「なぜ、0.1なのかね?」
サム「最低限の生活保障は1クレジットで可能なように物価は制御されます。
2クレジットというのは、すでに精神的な評価です。
むしろ、格差を2倍に設定することに改善の余地はあります。
大統領も、加算無しの2クレジットで問題なく過ごされています。」
マクレーン大佐「大統領の自宅の使用人達は、どう、評価されているのかね?」
サム「彼等は、公務員になりました。大統領自身が私邸を貧者の救護施設に提供されたので、
救護施設で働きたくない方は、去りました。
大統領も、現在は、小さな平屋に、ご家族のみと質素にお住まいです。」
マクレーン大佐「家が手狭になったら、どうするのかな?」
サム「居住権は、生産設備として支給されます。家族が増えれば、当然に広い家屋への転居が認可されます。
不動産の売買は大統領令で禁止されました。工場などの生産設備もです。」

マクレーン大佐「それは、失敗した、かつての共産主義と同じでは無いかね?」
サム「いいえ。異なります。共産主義は、階級闘争の終焉を謳いながら、官僚と言う強固な階級を打ち立てたから、失敗しました。
上級官吏は利権を濫用し、下級官吏と一般労働者は、自己評価を下げて、サボタージュで反発しました。」
マクレーン大佐「自動車は、どうしたら購入できるのかな?」
サム「今は、生産財として評価されます。生産に必要とあれば、必要経費で支給されます。」
マクレーン大佐「私のクラッシック=スポーツカーは、取り上げられるのかな?」
サム「いいえ。現在の私的所有物は、保証されます。
ただし、ガソリンは、今や貴重品ですから、支給は望めません。
文化遺産として一般人へ公開すれば、評価が上がります。」

マクレーン大佐「私の、自宅にいるピラニアの餌代は、生活費かね。」
サム「認定を受ければ、動物愛護プロジェクトの予算にすることが一般的です。」
マクレーン大佐「贅沢品の私有は、家具であれ、禁制と言うことかね?」
サム「いいえ。所有という概念が変わったというべきでしょう。

かつて、土地を所有する人は、所有地に入り込んだ動物、時には、人間にすら、生殺与奪の権利を主張しました。
芸術品や高級品を、手に取って自分の部屋で眺めるのは、ブルジョアの密かな楽しみでした。
1日1ドル以下で暮らす人が、半数を占める今日にあって、200万ドルの絵画の所有が、不毛な虚栄心を支えて来たのです。
もちろん、芸術品や高級品に対する特別の価値はあります。
博物館やネット情報で閲覧することで、価値が高まります。
所有欲は限りの無い物で、決して満たされることがありません。
共有することで、人類の最大幸福が得られます。

むしろ、粗悪品は、安価でも、苦情処理の対象となります。アンティークをお求めならば、物々交換は、可能です。」
マクレーン大佐「噂で聞くように、クレジットを貯めることは、やはり、出来ないのかね。」
サム「はい。将来への備えというのは、必要ない社会が追求されるようになりました。
生活費の余剰分は、年単位で、返還して頂くことになります。
蓄財であっても、富の集中は、あらゆる意味で、有害と見なされています。」

かつて、国防省であった建物には、西日がさし、眼下の通りには、暴動で焼かれた何台かの車両が残っていた。
マクレーンの永く続いた苦闘を語る、軍服のよれ、頬の傷跡には、今や、談話室の空調が微風を送っている。
かたや、サムは、さっぱりしたYシャツにカーデガンを羽織って、フットワークの軽さと、誠実さがにじみ出て、印象的だ。
マクレーンは、確信を持った。
おそらく、サム自身も国防省の役人だったに違いない。
以前の役職を捨てて、十人委員になることを選んだわけだ。
この男は、信頼出来る。人を見る目が、私の生死を分けて来た。間違いない。
マクレーンの表情が、いったん、柔らかな深みを増した。

大佐「君のような職務の人間は、かつて、居なかったね。」
サム「そうですね。私は、志願しました。」
大佐「どれくらいの人数が居るのかね?」
サム「この地域では、現在、100人に一人くらいでしょう。」
大佐「元の職場に、未練は無いかね?」
サム「そう、多くの方は、ポストサモア以前の仕事を続けています。
もともと、私が国防省の仕事に見いだしていた意義とは、平和を維持することでした。」
大佐「何をしても、2クレジットでは、何もせずに職場でくすぶる者も多いのでは無いかね?」
サム「以前から、そのような方々は居ました。現在の違いは、部下を苛めて暇潰しをしなくなったことです。
部下からの評価が自分の評価に跳ね返りますから。彼等は、職場の空気を和ませています。」

大佐「質問を変えよう。資本家達は、何をして暮らしているのかね?」
サム「彼等は、運用する資産を、失いました。有能な方達は、政策提案懇談会に所属されていますね。」
大佐「無駄な提案ばかりに、ならないのかね。」
サム「成果の無い仕事からは、どんどん人が離れていきます。退職しても、すぐに、同じ報酬の仕事に就けますからね。
評価システムが、そういった成果の低いプロジェクトを加速度的に縮小してしまいます。」

大佐「企業のトップ達は怒っていないのかな?」
サム「はい。怒っておいでです。彼等も運用資産を、つまりは、従業員の報酬を制御する機能を失いました。
以前通りの執務室で、生産計画を調整されていますよ。」
大佐「金融機関に勤めていた人々は、失職したのでは?」
サム「はい。金融市場は、消失しました。彼等の多くは、生産計画評価部会で新たな評価アルゴリスムを協議しています。」
大佐「土地所有者と、不動産業者は?」
サム「不動産市場も消失しました。
彼らには、一匹狼が多く、比較的ゆるやかな繋がりの、土地有効利用の監視コンソーシアムに加入された方が多いです。」
大佐「彼等に、戸惑いは無いのかね?」
サム「コンソーシアムは、産業利用と生活利用に跨がる、大プロジェクトです。忙しくて、戸惑う暇も無いでしょう。」

大佐「君は、実によく、現在の新しい社会体制を把握しているようだ。」
サム「十人委員は、慢性的に、人手不足の状態にあります。この種のお話は、全て、直接聴取済みです。」

大佐「立法、行政、司法の人々は、変化によって閑職に追いやられていないのかね?」
サム「いいえ。確かに、税金が無くなり、議会は予算を決定する機能を失いました。
今は、純粋に、立法作業に専念しています。社会の急変で、多忙の極みにおられます。
官僚も、税収がないので、仕事の形は変わりました。
しかしながら、評価システムへのデータインプットとアウトプットの遂行は彼らが支えています。
非常に多忙です。
裁判所は、損害賠償の調整機能を失いました。民事的な争いは、評価システムの苦情処理部門が調整します。
新たな法律が目白押しで、ここも多忙です。」

大佐「何でも評価システムに任せるのは、危険では無いかね?」
サム「今まで、少数の資本家が牛耳っていた社会でした。遥かに、民主的になったのです。
社会保障番号さえあれば、医療も、教育も無料ですから、快適になったと思います。」
大佐「音楽家や、小説家は、どう、評価されるのかね?
実は、少年時代は、小説家になるのが夢だったんだ。」
サム「彼等は、定期的なアウトプットにより評価されます。
著作権協会の干渉を嫌う人々は、1クレジットで暮らしていますね。
そういう方は、哲学者や数学者にも多いです。」
大佐「無駄遣いして、餓死する人は、居ないのかね。」
サム「その場合、救護施設か病院が機能します。」
大佐「官僚無しで、誰が仲介するのかね?」
サム「大抵は地域の民生委員の仕事です。人類の幸福に、地域との繋がりは必須です。」
大佐「君たちは、逆恨みされることは、無いかね?」
サム「初期には、射殺されたケースもあります。今は、誤解も解けつつあります。
私たちは、システムの手先ではなく、人間同士の調整者なのです。」

夕陽が落ちて、辺りには宵の薄闇が、けだるく覆いそめた。
ビルとエアカーに室内灯がともり、一番気の弛む時間帯だ。
大佐の表情にも、疲労のようなものが、滲んできている。

大佐「しかし、どうしても腑に落ちない点がある。我々の文化は停滞するのではないかという危惧がある。」
サム「いいえ。資産を増やす熱意が人類を進化させたというのは、神話です。
資産は、自分のやりたいことをやるための手段です。
20世紀から先、我々の文化を構築して来たのは、
言語障害のある特許局員や、ガレージでコンピュータを組み立てた者、自分が作った会社をクビになった変わり者達です。
生産資本や金融資本は、今や本質ではありません。知識集約が資本集約に、とって代わりました。
今後の製造業は、3Dプリンタとロボット達が担って行きます。」
大佐「その知識集約だが。評価システムを牛耳っているのは誰なんだ。」
サム「評価システムはAIです。昔、アシモフという科学者が、SF小説に述べた、人類の存続を第一原理に評価しています。
利害がぶつかって進まなくなっている地球環境問題も、やがて解決して行くでしょう。」
大佐「評価システムを止めることは出来ないというのは本当かね?」
サム「いいえ。しかし、部分的にイエスです。止める手段はありますが、大統領と最高裁、議会が一致しなければ停止しません。
21世紀初頭の歴史学者ハラリが解き明かしたように、個人の重視がコミュニティより優先する時代になりました。
システム以外に五億の国民を平等に扱うことは不可能です。大統領も、誰も、それを代行できないのです。」

大佐「噂通り、本当に、人類は、経済の主導権を失ったのかね。」
サム「そうです。委ねたのです。
資本主義の機能は、将来の成果を根拠に、生産材を提供することでした。
貨幣は、その信頼度を数値化しました。
しかし、仮想的な貨幣が貨幣を増産し、世界を動かすという、主客転倒を来すまでになりました。
市場という名前でありながら、物ではなく、実体のない株や信用が経済の99%を占めました。
矛盾が極値に達した時、役割を、知的生産活動の数値化に譲りました。
知的生産活動の主体は、企業でも、大学でもありません。個人なのです。
個人の尊厳が、可能性を含む物であり、誰にも等しくあるという、自由、平等と人権が、初めて実現されました。
多くの才能が、家族の生活のために、不本意な生涯を送る必要は、無くなりました。
やがて、全世界のAIは、貿易を軸として、評価情報の相互交換を行うでしょう。
パックス・ロマーナ。ローマの平和が訪れると予想しております。」

大佐「君の言うことは、分かった。
実は、わしには、精神障害の兄がいる。そっちの施設の改善には、
感謝しているのだよ。わしも、新しい価値観に慣れる時かもしれん。」
サム「確かに、我が国の障害者施設の職員の多くが、最低限以下の生活に荒んでいたのは、ポスト・トンガで改善した点です。
障害者自身が、虐待の時代を終えて、働き出しているという統計も出ています。

本日は、このへんでご納得頂けたように思いますが。」
大佐「結構。もしかしたら、我々軍人の出番はもう、災害支援しか無いかも知れんがね。
それなら、十人委員への転職もありうるかもしない。小説家も魅力的だ。」
サム「本日のご来席に感謝致します。ありがとうございました。」

14.エピローグ

やがて、南トンガのシステムを流用することが、世界各国に相次いだ。

他のシステムが監視していないシステムは危険である。
そこで、3つの地域のシステムが、多数決で決定することになった。
すなわち、ゴンドワナ大陸を中心とする旧大陸、
南北アメリカとオーストラリアからなる新大陸、
日本やインドシナが所属する海洋国アーキペラゴである。
それぞれが、地域の人類の最大幸福を目指すという課題で、域内のデータ更新を行い、学習を重ねる。
通り一遍の情報による危険を見落とすという、いわゆるフレーム問題の深刻化を回避する。

各地域システムも三重化してあり、多数決での負けが一日千回を越えると交代システムと置換され、メンテナンスモードに入る。
つまり、物理的には六重化したノンストップシステムである。
プログラムの改編は、行政府がインプットした情報の追加による。
ベースにあるのは、自己組織化機能を有機半導体に物質化したアルゴリズムであり、
改変されないように原盤が保存されている。

Aiは情報品質を、情報ソースごとに評価せねばならない。ソース不明の情報は、拒否する。
それが、Aiの疾病と、精神病を回避する唯一の方法である。
データの虚偽および誤りをデータソースごとの評価割合まで許容する。
評価割合を越えると、警告を発信し、越えなくなるまでインプットを、チェック用データとして扱う。
それにより、矛盾チェックのための、処理時間の増大を回避する。

副作用として、労働生産性も向上し、食料問題も片付いた。
世界の飢餓問題と格差が、一気に解決した。

アメフッテ ヂ カタマル

秋空が晴れ渡る、みごとな朝焼けの中
崖に立つひとりの青年がいた。
ふっと 微笑んで 身を投げた。

アマリニ オオクノヒトガ ギセイトナッタ
ソウダヨネ ミキクン

吉田医師の日記から)
ミキクンと三夫くんの間違いが、トビオの遺書に見られる。
これは、脳移植にあたって、頭蓋の容積不足による機能不全、記憶障害、抑鬱症状態と考えられる。
もう一つの可能性は、ホルモンを司る内分泌系および末梢神経が、トビオのものであるため、トビオの鬱傾向が発現したと言う説明である。
いずれにせよ、岩田国雄は、こうした可能性も熟知した上で、脳手術に踏み切ったと、見られる。
全ては、推測に過ぎないが。。。
それでは、岩田国雄の人生とは連続していたのだろうか?
少なくとも、手術後の岩田トビオは、手術前と同じ、質素な食生活であった。
トビオの持ち物は今回も少なかった。スミ子が宝物にしていた唯一の形見。トビオ自身のへその緒の半分だった。
今回は、再生出来ないように、入念に熱処理してあった。

父に捧げるうた” への2件のコメント

  1. 暗い生い立ち、2度子供を亡くす。哀しさに胸を打たれました。でもクローンとしての復活は、当たり前だと思いました。デストピアは嫌だけれど、これはそれほど拒否反応おきませんでした。トビオのキャラかな。だけど最後のトビオが、どう日々を暮らしたかを、もう少し長く書いて欲しかったなと思います。前半は面白かったです。もっと真剣に生きねばと思いました。途中からトビオが出なくなって、別の本を読んでいるような気がしました。本を2冊読んだ感じ。短編2冊にした方がいいのではと思いました。ごめんなさい。パソコンの文字は目が疲れてダメです。

    • コメントありがとうございます。
      おりしも、アトムのエピソードが放映開始されておりますが、
      うつ病者に重なるクローンの苦難の記述でも、試みようかと思います。

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