知者と愚者

乾いた牛皮の匂いのする街を歩き
男はコロナビールで喉を潤す
くたびれはてたコート
ぼさぼさの髪をソフト帽に押し込んでいる
指先に短くなるまで燃え残ったシガリロ
日が暮れ、夕陽もやがて暮れなずむ
街路樹があかりを灯す
雪でも降れば良いのだが
クリスマスが近い
看板の無い道筋には店名を型どったネオンサイン
服飾店では、売り子がオシャレな娘に服を選ぶ
親子や恋人達がレストランで語らう
新居における壁紙の色と柄が真剣に議論される
そんな日常を眺めながら、男はバーのカウンターを離れた

男が向かうのは、ガラス張りのモダンなビル。
気のりしない面会の相手は、ここのペントハウスに事務所を構える、切れ者と言われるコンサルタント。
受付のお姉さんに、バッジを見せた。
「スナウトさんに、お尋ねしたいことがあるんです。私は、スタブロス警部。」
「令状はお持ちですの?」
「いいえ、任意のききとりですので。」
しっかりもののお姉さんだ。濃紺のビジネススーツもサマになっている。
ブレスレット型のインターホンでやりとりして、お許しが出た。

「はじめまして。スナウトさん。私はスタブロス警部。ロサンゼルス市警察です。」
スナウトは、若いが、やはりスーツに身を包み、隙がない。
髪は黒で、チックでしっかりと固めている。
スタブロスが手を差し出すと、シルクの手袋をしたまま、握手をした。
「はじめまして、ミスタースタブロス。おひとりで?さて、ご用件は?」
「はい。警察も人手不足でして。実は、この男をご存じ無いかと?」
警部は、写真をポケットから取り出した。
一緒に手袋が添えられている。
「これは失礼。最近は、冷え込みがひどくて。。」
スナウトは、失笑。
「ぞんじませんな。」
「この男は、臓器の密売人をやっていたようです。浮浪者を集めての、汚い商売です。何人か、死んでます。」
スナウトは、値踏みするように、スタブロスを見下ろしている。身長は10インチも高い。
「昨晩の死亡推定時刻は22時です。失礼して、帽子をかけて良いですか?」
「どうぞ。」
帽子かけには、鳥打ち帽がかかっていた。スナウトの服装にはマッチしない。
隣に、ほこりまみれのソフト帽が並ぶ。
「あなたは、国立医療センターの顧問をされているとか」
「正確には、センターの倫理審査部会の理事です。しかし、違法なことはしておりませんよ。もちろん、殺人もね。昨日の22時には、近くで上院議員達と会食をしておりました。サヴァティーニ、ここらでは、有名なレストランです。」
「現場なんですが。。。そのレストランからは100mと離れていないんですよ。」
「おっしゃりたいのは、それだけですか?会食は夜半まで続きましたが。」
「失礼ですが、左手を見せていただけますか?」
「結構ですよ。」
スナウトは、シルクの手袋を外し、左手を差し出した。
桃色に輝く、金属製の精巧な義手である。
「素晴らしい義手ですね。私の給料では、とうてい買えない。。。。実は、ガイシャの右手にアザが残っているんです。物凄い力で締め付けたらしい。」
スナウトは、話の途中から、壁のホームセキュリティパネルに目を向けている。
「ほう。しかし、この義手は、最近はやりの標準品です。近頃は、音楽家も両手を置き換えるくらいです。私のアリバイは完璧だし、検事総長とも友人です。あなたが、おひとりでお見えになったのも、不当捜査の疑いがありますが。。いずれにしろ、あなたの帽子に備え付けのカメラは機能しませんよ。この室内の変調波は、すべて無効化してますから。私の表情筋の反応は記録できません。」
「。。。」
「お話は、ここまでのようですな。ミス=サリー。お客人がお帰りですよ。」
「失礼。次回は、礼状を持って、参ります。」
スタブロスは追い返されてしまった。
上司も未承認だったのだから、致し方ないのだが。

無礼な客人が去って、スナウトはグラスにバーボンを注いだ。
机に載った藤の器に盛られたクルミを、左手にとり、指先で潰した。
確かに、ナイフをふりかざした男の手を、義手で潰したのは軽率だった。
しかし、警察の動きは封じてある。
スタブロスの訪問は、はねあがり行為に過ぎない。

スナウトは、ふっと、帽子かけを見た。
先月、親父が、ふいに訪れ、置き忘れた鳥打ち帽だ。
スナウトが幼い頃から、親父は愛用していた。
バーボンを飲み干した。
親父は、訪問直後に21階の非常階段から身を投げた。
ふいの、訪問。
話したのは、”様子を見に来た”だの、”仕事は楽しいか”という、他愛ない内容。
楽しいわけが無い。シンジケートで生き残るのは、簡単でない。

もともとは、理想を持って臓器ビジネスにかかわった。
しかし、金をとるか、死を選ぶかというシンジケートに屈してしまった。
殺し屋を送ってきたのも、黒幕は別グループの幹部だ。
私が死ねば、恐れている情報がどうなるか知らせて、手打ちは済んでいる。
情報は、臓器移植のついでに、通信自爆装置を埋め込んだ有力者のリストだ。
通信が切れると3分で爆発する。エネルギー源は、義手と同じ、電気鰻の細胞。移植者が生きている限り作動する。
誤爆も何度かあったが、シンジケートが、すべて揉み消している。

親父に、金を渡そうとしたが、受け取らなかった。
親父は、さっきの警部のように、うらぶれたなりで、一言つぶやいた。
「おまえは、世間を知らない」
そして、ドアを閉めた。

私の回りでは、皆、自殺していく。
妻も、2年前に服薬自殺した。
世間を知らないのは、彼らの方である。
この世界では、力が必要なのだ。
何もなしえない者は、死んでいく。

テーブルのへりをタッチすると、骨董品の楽器が姿を現した。
チェレスタだ。
左手の動きが、旋律を奏でた。
哀愁を帯びた、それでいて、澄みきって美しい短いフレーズ。
クルミ割り人形の、こんぺいとうの踊り。

ふと、思い立って、スナウトは父の鳥打ち帽を手に取った。
子供の頃、一緒に寝た朝、ベッドを包んだ、親父の臭いがした。
小さい頃、親父はよく、帽子のへりに10ドル紙幣をしまっていた。
小さく折り畳んだ10ドル紙幣を、親父は、自慢げに広げたものだ。

スナウトは発見した。
帽子のへりに、ビニール袋に納めた半導体チップ。
メモリのベアチップだ。
再生は難しくない。
情報屋をなりわいとしていた親父の、最後の情報。
高価なものかも知れない。

標準品なので、電源パッドの向きは間違えようがない。
安価な標準メモリを左手で破壊。
携帯電話のマイクロスコープで覗きながら、100ミクロンの半田スレッドでつなぐ。この左手は、とても器用だ。
右手の出番は、握手くらいしか残されていない。
ホームセキュリティのジャックに差し込む。
文字列が表示された。
2049 10 05 McKarthy 500
2049 09 21 Noguchi 800
…..
臓器の提供倫理規約の改訂をめぐる闇献金のリストである。
正義感の強い父親だった。
息子の不正を許せなかった。
しかし、公表も、讒言もできなかった。
なぜか
愛ゆえか?
あんな、愚図でぐうたらのアル中親父が。
昔は、警官をしていた。
しかし、逆恨みした犯人のせいで妻を死なせた親父。
何人か、人も殺さざるを得なかった息子を。
息子を守るために、死をもって、諫めたかったか?
ああ。あの妻も。
私の秘密を知っていたからなのか?
なに不自由ない暮らしで、薬におぼれるようになった。
流産した赤ん坊のせいと思っていたのだが。
なにも、わからない。。。
親父の言う通りなのかも知れない。

静かな変化がスナウトを襲っていた。
とても、静かだ。
左手を見つめ、今から、やりたいことを思い描いている。
クリスマスが近づいている。

++++++++++++++

”切り裂きスナウト”と呼ばれた男の消息は知れていない。
名前の由来は、クリスマスの夜に20人もの著名人の身体を切り裂いたことだ。起爆装置は、すべて3分以内に取り出され、破壊されたという。
義手メーカーは、さらに売り上げを伸ばしたが、そこまで多数の外科医需要は存在しない。左手プログラムのアプリは、歴史的な進歩を遂げた。

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