精神医療の現実と対処法についてのデータに基づく提言

地上の旅人は、統合失調という病気により息子と妻を失った愚かな男の例を踏まないように注意を喚起してまいりました。
幸い、ここ5〜6年の薬品の進歩はめざましく、ちゃんとした服薬さえ続ければ、
副作用も少なく、再発も抑えられる喜ばしい状況を迎えました。

ところが、英米の常識的処方を先取りしている臨床経験豊かな一医師の進めているセカンドオピニオン提供を、
ボランティア活動として展開したところ、嘆かわしい現実が見えてきました。嫌な表現ですが、ずばりと言うと次のことです。

精神医療サービスの受け方に問題あり:
医師への責任の丸投げは、あなたとご家族の破滅をもたらすことがあります

もともと、わが国には「安上がり精神医療政策」により精神医療に独特の諸問題があります。
それは、統合失調症の家族を持った私の経験から、 精神医療の受け方に関する私見にまとめてあります。
統合失調しか学んでいない私には、これ以外に根拠無い主張はできないし、する必要も無かったのです。
カルテルームにある130名以上の診断名は、いずれも旧診断名_新診断名で記載しております。
「統合失調と誤診され、古臭く、副作用も強い薬を大量に処方されている多くの方がいる」というのが
ドクターの誇大妄想とは考えられません。家族の方の、「状態が改善した」、「10年ぶりに笑った」などのお返事を見ると、
他の処方が犯罪的な域にあるのが明らかです。今や、根拠あるデータと主張することを義務と感じます。
皆様から、この主張を、より現実に即したものとするためのご批判を仰ぎたく思うものであります。

    問題点1:患者家族の医師への過信
    中井久夫という、日本一有名な臨床医師の「精神科治療の覚書」p218によると、
    『全医師数の2〜3%が全病床数の三分の一以上を担当しているのが、
    精神医療の掛け値無い現状である。十分といわずとも、ある程度専門的訓練を
    受けた精神科医師数となるとその半分であり、精神科適性の範囲に入るものは
    --いうをはばかることだ--さらにそれより少ないであろう。』
    このような現実を知らず、「医師に任せたから大丈夫」と考えたのが私だけと思っておりましたが、違いました

    意見1:精神医療の難しさを家族も理解せねばなりません
    何か納得できない症状や、副作用が現れても、われわれは「専門家でないから、何かわからない理由がある」と
    勝手に思い込みがちです。それは、理解していないことの証です。
    精神科は、糖尿病のような数値基準や、外科のようなレントゲン写真で診断しているのではありません。
    ある専門書のデータでは、診断の一致率は8割前後にすぎないです。
    しかも、精神病の発病のしくみは未解明であり、対症療法なのですから、現実に副作用に苦しんだり、
    寝たきりになっているのは、治療のメリットより、デメリットが多くでている証です。
    「寝たきりでも、急性期よりいいだろう」とは、医師の論理でしかなく、患者や家族にはたまったものではありません。

    問題点2:患者家族の不勉強
    日本の「常識人、知識人」の精神病への理解は、かつての私のようにみっともないものです。
    岩波新書の「精神病」の記述だけでも、私は十分に驚きました。精神病は「心がけが弱い人がかかる病気」と思っていたからです。
    精神病というと、大半がセラピストにかかって治るというのがイメージで、フロイトの著述も、一部は有効と思ってました(笑)。
    いくらか学んでから、「妻が統合失調を発病したのは、あなた自身のせいではないか」といったメールを頂き、絶句しました。
    患者本人にも「なまけぐせが出て、動けないだけでないのか」と、確信をもって言う方もおられるようです。
    日本には、「精神病者を家族から出すのは恥」という思い込みが歴史的にしみついているようです。
    例えば、日本の政治家で、「親戚に統合失調の者がいる」と表明している方がいるでしょうか?
    かつて、アメリカにはいました。ケネディという一族です。
    大統領就任後の精神医療政策の大転換は、その得失を別にしても有名です。

    意見2:精神医療の難しさを理解したなら家族も学ばねばなりません
    かつての妻が服薬していた薬を、「薬がわかる本」で調べた私は、マイナトランキライザーの副作用を見て
    どう思ったか?。。「トイレに流そうか」と思いました。かろうじて踏みとどまったのは、常々妻が「薬のことなら医師より詳しい」と
    自慢げに話していたからです。10年以上服薬している薬なら、言われるままに処方する医師は無数に見つかります。
    単に副作用の可能性を知るだけでなく、「なぜこの薬この量なのか」「対症療法なら、他の薬を試したか?」を知らねばなりません。
    インターネットの発達した現在、医薬品に関する詳細な添付文書は、医師だけでなく、一般に公開されています。
    肝臓や腎臓の疾患があるのに、慎重服用の薬を処方されたら、質問くらいはすべきです。
    ところがどうでしょう。カルテルームを見ると、不登校やリストカットに統合失調の処方が平然と使われています。
    患者家族が「なめられている」としか言いようがありません。

    問題点3:不勉強な医師たち、臨床を軽く見る大学病院
    かつての妻が入院していた大学病院では、私の話を聞いて「統合失調だ」とおっしゃった部長医師でなく
    研修医が担当になりました。研修医でも医師免許は持っていますが、妻によると
    「3ヶ月たつと保健の点数制度のせいで病院利益が減るので一旦退院してもらっている」と患者さんに公言する「愛すべき世間知らず」でした。
    看護婦さんの暴露本を見れば、研修医が患者さんをはじめて診る5月6月は「避けるのが当然」ですが、他にも精神科特有の問題があります。
    大学病院では、臨床成績より、学会での論文発表数のほうが評価されやすいという問題です。その大学病院には、開放病棟しかないかわり、
    統合失調の患者さんはみかけず、摂食障害の方が大半でした。結局、妻が入院して居られたのは、外科の治療が終わるまででした。
    かつての妻が、事故前日に行った病院にも問題がありました。
    その病院の待合室で印象的だったのは、アルコール中毒に関するポスターや家族の心がまえに関する掲示が多かったことです。
    何年かあと、「アルコール中毒の患者さんの多い病院は、統合失調の患者さんを受け入れたがらない」と、ある医師に教わりました。
    事故前日に、通院直前に妻があわを吹いて倒れ、30分ほど診察時間を遅れて訪れた医師は不機嫌で、
    「神経症でしょうか?」の問いに「そうです」と答え、妻と一緒の息子を見た後で、「うちに入院はできません。空きベッドが無い」と言いました。
    「同じ精神科の看板を掲げていても、得手不得手があるのはあたりまえ」とは、当事の私に知りえない常識でした。

    意見3:良い医師は少なくとも、家族が見つけねばならない
    「専門家である医師に任せてあるから大丈夫」と思った私は、とんでもない愚か者でした。
    しかも、次の日に明らかに不可解な言動の妻をに対し、前日処方された薬を飲ませて、落ち着いたと判断した30分後に会社に出勤すらしました。
    今から思えば、前日の医師は何も診てはいなかったし、処方した薬は、妻の新たな症状に全く無効だったのです。
    現在の私は、精神科というものが、家族の危機管理をできるということ自体、ありえないと確信しております。
    かつての妻は、前日、彼女の母親が精神病で入院していることが不安要因とたくみに説明し、私が妻の倒れた様子を説明しても、
    医師は脳波すらとらなかった。その医師を訴えなかったのは、単に、妻を法廷にひきだせなかっただけの理由でした。
    いったい、誰が、「もう一度自殺させうる状況」に、家族を追い込もうと考えるでしょう?
    一部は、医師の選択を誤った私の無能によるのです。

私には、些細な夢があります。
「精神病にかかっても、誰も死んだりしない。誰も、自分の人生を諦めなくて良く、誰も寝たきり入院したきりにならずに済む」ことです。
私は、それが実現するまで、できることを探さねばなりません。
医師の誤診にまかせて、私のような目に遭う人間は、私でおしまいにせねばなりません。

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